これは昭和29年(1954年)に実際に起きた歌手・笠置シヅ子に対する脅迫事件である。
昭和29年(1954年)3月31日、東京都世田谷区にある人気歌手・笠置シヅ子(本名は亀井静子)の自宅に、「俺たちの結社で金が要るから天神橋下に6万円を置け。さもないと、1人娘のエイ子を殺すぞ」という脅迫状が届いた。
昭和29年の小学校の教員の給料が7800円なので、6万円といえば、大金である。
笠置シヅ子は世田谷署に通報して、世田谷署の協力の下、昭和29年4月8日の朝に犯人からの電話をテープレコーダーに録音し、犯人の要求通り、自由が丘駅の表出口にある公衆電話で金を渡すことを約束した。
そして、笠置シヅ子の事務員・柴田雅彦が受け渡し人となり、約束の場所で、犯人に指示されたとおり、左手に目印のハンカチをまいて立っていた。
すると、昭和29年4月8日午後3時ごろ、1人の男が事務員・柴田雅彦に近づき、「すまん。確かに受け取った」と言い、事務員・柴田雅彦から新聞紙包みを受け取った(ただし、新聞紙包みの中身はお金では無く空だった)。
このとき、世田谷署員が駅前のテレビで野球観戦をしている人を装って張り込んでおり、男が事務員・柴田雅彦から新聞紙包みを受け取けとると、一斉に飛び出して男を逮捕した。
男は東京都品川区に済む無職・横田武夫で、「6月に結婚することになっていたのに、失業して金に困って思いついた」と供述した。
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笠置シヅ子は、吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)の跡取り息子(戸籍上は次男)・吉本穎右(吉本泰典)と恋に落ちて結婚を約束し、長女・亀井エイ子を妊娠していた。
通説では吉本せい(林せい)が結婚に猛反対していたとされるが、実際は笠置シヅ子の妊娠を機に態度を軟化させ、話し合いは良い方向に進んでいたという。
長女・亀井エイ子も、「母(笠置シヅ子)は主婦に専念するということで、晴れて正式に夫婦として認めて頂ける、ということになりました」と証言している。
しかし、長女・亀井エイ子が生まれる直前で、吉本穎右(吉本泰典)が肺結核で死去してしまったので結婚は出来なかった。
そして、笠置シヅ子は吉本穎右(吉本泰典)の悲報を聞き、悲しみと失望の中で、吉本穎右(吉本泰典)の浴衣を握りしめながら、長女・亀井エイ子を産んだ。
吉本せい(林せい)は孫の亀井エイ子を引き取りたいと言ったが、笠置シヅ子は生まれて直ぐに養子に出されて親の顔を知らずに育っていたため、娘にも同じ思いをさせたくないと思い、吉本せい(林せい)の申し出を断り、自分の手で育てることにしたのである。
笠置シヅ子は吉本穎右(吉本泰典)と結婚する事になっていたので、芸能界を引退していたが、亀井エイ子を自分の手で育てるため、作曲家・服部良一に「先生、たのんまっせ」と新曲を依頼した。
こうして、笠置シヅ子は、出産から、わずか3ヶ月後の昭和22年(1947年)9月10日に「東京ブギウギ」のレコーディングを行って歌手に復帰し、「ブギの女王」としてスターダムの道を歩んだのである。
さて、シングルマザーの笠置シヅ子は、乳飲み子の亀井エイ子を抱えてステージを飛び回り、亀井エイ子と一緒にテレビに出たり、マスコミの求めに応じて写真を撮らせていた。
また、この頃は芸能人に対するプライバシーという概念が無く、雑誌に芸能人の住所や電話番号が掲載されていたので、芸能人の住所や電話番号、さらに子供の顔も簡単に分かった。
その結果、今回の「亀井エイ子殺害予告事件」が起きたのである。
笠置シヅ子は、今回の殺害予告事件について「母親の一番の弱みを付いてこられたので、家に閉じこもったまま怯えていました」と言い、以降、娘の亀井エイ子をメディアに晒すのを止めた。
しかし、今回の脅迫事件は芸能人に対するプライバシーという問題には発展せず、翌年の昭和30年(1955年)7月に「トニー谷の長男誘拐事件」が発生したのである。
昭和30年(1955年)7月15日に、東京都大田区に住む人気の毒舌芸人・トニー谷(本名は大谷正太郎)の長男・正美が大田区立入新井小学校から下校中に誘拐された。
そして、翌日の7月16日に、トニー谷の自宅に原靖男を名乗る犯人から身代金200万円を要求する速達が届いた。脅迫文には「悪人の仁義として生命は保証するから安心しろ」と書いてあった。
昭和30年は大衆車「ダットサン110(860cc)」が80万円なので、身代金200万円は自動車2.5台分。笠置シヅ子の時は要求金額6万円だったので桁違いである。
犯人は長男・正美を狙ったので、当初は顔見知りの犯行かと思われたが、手紙に書かれていた名前も偽名で住所もデタラメだった。トニー谷も子供の写真を雑誌に掲載していたため、犯人に長男・正美の顔が知られていたのだ。
3日後の7月18日に新聞発表されると、当時は報道協定など無かったため、マスコミは誘拐事件を一斉に報じた。
トニー谷は、嫌われ芸人(毒舌芸人)という芸風だったので、トニー谷の自宅にマスコミや野次馬が大勢詰めかけ、偽の目撃情報やイタズラ電話や頻繁にかかってくるようになり、警察は大混乱に陥る。
そのようななか、誘拐から6日後の7月21日に「1度だけトニー谷に会いたい。渋谷の東宝映画劇場前へ来てくれ。そのとき、40万円を用意しろ」という電話があった。
トニー谷は犯人からの電話だと直感して、自分で受け渡し場所へ行こうとしたが、家のまわりに報道陣や野次馬が大勢居たので断念し、刑事がトニー谷に扮して渋谷の東宝映画劇場前で犯人と接触した。
トニー谷に扮した刑事が待ち合わせ場所に居ると、犯人が「トニー谷か?」と声を掛けてきたので、刑事は証拠を求めると、犯人が長男・正美のランドセルなどを見せた。
そこで、刑事は場所を異動して、共犯者が居ないことを確認してから、犯人を逮捕した。長男・正美は、長野県の犯人宅で監禁されていたが、犯人が逮捕されたことにより、誘拐から7日ぶりに保護された。
誘拐犯は長野県の雑誌編集者・宮坂忠彦だった。犯人の宮坂忠彦は、雑誌の運営資金に困り、昭和7年(1932年)にアメリカで起きた誘拐事件「リンドバーグ事件」を研究して、今回のトニー谷長男誘拐事件を計画したのだという。
しかも、犯人の宮坂忠彦は、トニー谷の人を小馬鹿にした芸風に腹を立てて、トニー谷の長男を誘拐したのだという。
こうして誘拐事件は無事に解決したが、トニー谷は嫌われる芸風(毒舌芸人)だっため、事件の解決後、被害者のはずのトニー谷がバッシングを受けて、秘密にしていた過去が続々と暴かれ、人気が急降下した。
その後、トニー谷は長らく低迷したが、ソロバンを楽器のように使って歌う「あんたのおなまえ何アンてエの」で再ブレイクを果たした。
さて、誘拐事件は現金の受け渡し時に接触しなければならないため、現金の受け渡し時に逮捕される可能性が大きいという欠点があった。
しかし、その欠点を解消したようとしたのが、津川雅彦の長女誘拐事件の犯人である。
昭和49年(1974年)8月15日の午前2時頃、犯人は津川雅彦・朝丘雪路夫婦の自宅に侵入して、津川雅彦夫婦の長女・真由子(生後5ヶ月)を連れ去った。
津川雅彦夫婦は寝室で寝ており、長女・真由子の世話をしていたのは家政婦で、家政婦が長女・真由子と一緒に寝ていた。
家政婦は一瞬、目を覚まして、長女・真由子を連れ去る犯人の後ろ姿を目撃したが、犯人を津川雅彦と思って再び眠りに就いた。
ところが、家政婦は、30分ほどして不安になって目を覚まし、津川雅彦夫婦の寝室へ行ってみると、長女・真由子が居なかった事から誘拐事件だと判明したのである。
津川雅彦は警察に通報し、警察が駆けつける。8月15日午前4時に犯人から電話があり、津川雅彦に扮した刑事が電話に出ると、犯人は明日の昼12時までに第一勧業銀行の指定口座に身代金400万円を振り込むように指示した。
津川雅彦は、宵越しの金は持たない主義だったので、150万円しか貯金がなく、残りの金は警察に頼んだ。このとき、津川雅彦は「税金を払っておいて良かった」と感じた。
さて、警察は指定された口座に現金を振り込んだが、今回の事件は警察にとっては難しい事件で、犯人を逮捕できる確率は低かった。
銀行のCD機(キャッシュ・ディスペンサー)は、前年の昭和48年に誕生したばかりで、当時のシステムでは、現金を引き出しても、どこのCD機から現金を引き出したかをリアルタイムで知ることはできなかった。犯人はそれを狙ったのだ。
しかも、当時は銀行口座の開設に本人確認などなく、架空名義口座が簡単に作れたので、犯人が指定した銀行口座も架空名義であり、犯人の特定には至らなかった。
このため、警察は第一勧業銀行のCD機に人員を配置して、CD機の利用者を1人1人取り調べたが、成果はあがらなかった。
しかし、警察に勝機が見えてきた。第一勧業銀行はリアルタイムで現金を引き出したCD機を特定するプログラムを突貫工事で完成させ、事件発生の翌日の8月16日から新システムを稼働したのだ。
ただ、当時の技術では、現金を引き出したCD機の特定から警察の通報まで5分を必要とした。3分もあれば、CD機から現金を引き出すことができるので、望みの薄い勝機だった。
ところが、今回の事件は事件当初から報道協定が結ばれており、誘拐事件に関する報道はされておらず、犯人は新システムの導入を知らなかった。
(注釈:報道協定が日本で初めて結ばれたのは昭和38年の「吉展ちゃん誘拐殺人事件」だが、事件当初から報道協定が結ばれたのは、今回の「津川雅彦長女誘拐事件」が初めてだった。)
このため、犯人は8月16日正午にCD機から現金を引き出すのだが、入金の確認として2000円を引き出してから、限度額29万円を引き出しており、お金を引き出すのに5分近くかかってしまった。
その間に新システムが犯人がCD機から現金を引き出したことを検知しており、通報を受けた警官がCD機から出て来た犯人を取り押さえることが出来た。
逮捕された犯人は「どうせ死刑になるのなら」と開き直って、誘拐した長女・真由子の居場所を喋らなかったが、警察は犯人の自宅を突き止め、犯人宅から津川雅彦・朝丘雪路夫婦の長女・真由子を無事に救出した。
なお、犯人は当初、佐川満男・伊東ゆかり夫妻の長女を誘拐しようと考えていたが、佐川満男・伊東ゆかり夫妻の住所が分からなかったため、雑誌に住所や間取りから家庭の事情まで掲載されていた津川雅彦・朝丘雪路夫婦の長女・真由子を誘拐することに変更したのだという。
このように、雑誌に掲載された芸能人の個人情報が犯罪に利用されるのだが、その始まりは、笠置シヅ子に対する脅迫事件だったのである。
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