神田日勝の馬の絵に激怒した理由とヌードモデル事件

北海道の子供が神田日勝の馬の絵に激怒したというエピソードとヌードモデル事件を紹介します。

北海道の子供が神田日勝の馬の絵に激怒した理由

このエピソードはいつの話か不明なのだが、おそらく、神田日勝が小学生の時のエピソードだと思う。

戦後は娯楽も少なかったので、北海道の子供にとって馬の交配は大イベントだった。北海道の子供は馬屋に忍び込んで、馬の交配を観て興奮していたのだが、大人が見せてくれないので、子供は欲求不満になっていた。

神田日勝は小学校の時から絵が上手だと有名で、色々とリクエストに応じて絵を描いていた。

そこで、子供たちは神田日勝に馬が交配をしているところの絵を描いてもらい、その絵を見て欲求を発散しようと考えた。

ところが、神田日勝は、農家の子供だったが、馬の交配を観たことが無かったので、絵を描けと言われても、観たことがないものは描きようがなかった。

そこで、神田日勝は困ったあげく、馬を2頭、並べて描いたのが、生唾を飲みながら絵の完成を待っていた子供たちは、完成した馬の絵を見ると、「全然違う」と言って激怒した。

しかし、神田日勝が描いた馬の絵を見て、子供たちが絶賛したという話が残っているので、その後は馬の交配の絵を掛けるようになったようだ。

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神田日勝とヌードモデル

神田日勝はヌードモデルを描きたかったのだが、絵の具代にも事を欠くような状態だったので、モデルを雇えないので、相撲の写真を参考にしていた。

しかし、チャンスが巡っていた。知人が行きつけのクラブでホステスに頼み込み、なんとかホステスにヌードモデルを引き受けてもらうことが出来たのだ。

神田日勝は大喜びしたが、運が悪いことに、その日の夜は大雪で町から出ることが出来ず、念願のヌードモデルを描くことが出来なかった。

その後も、妻・神田ミサ子が居ないところで、知人にヌードモデルを描きたい願望を明かしていたが、結局、神田日勝はヌードモデルを使うこと無く、この世を去った。

なお、神田日勝の生涯については「神田日勝の立志伝」をご覧ください。

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