NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する山田正治(戸次重幸)のモデルとなる神田要一の立志伝です。
神田要一は栃木県足利市の出身で、呉服屋に勤めており、実直さが買われて暖簾分けされることになっていたが、暖簾分けの直前で関東大震災に店が焼失して潰れた。
そこで、兄のメリヤス工場に勤め、ミシンを習うために上京してきた岩本ハナと結婚し、昭和12年ごろに独立して洋品店を構えた(独立するまでの経緯は異説あり)。
神田要一は、人から頼まれて自転車でミシンを山梨県へ運んでいたときに、東京大空襲を受け、東京の商売が困難になった。
やがて、被災者の疎開と食糧問題解消を目的とした拓北農兵隊が募集されると、神田要一は拓北農兵隊に応募し、家族を率いて北海道へと移住した。
ところが、神田家が北海道鹿追町へ到着した翌日に日本は敗戦して終戦を迎えた。
神田家は集会所で3ヶ月ほど、他の開拓移民と同居した後、「拝み小屋」と呼ばれる三角形の簡易な家を建てて独立し、開拓地を借りて開拓を始めたが、待ち受けていたのは厳しい現実だった。
この拓北農兵隊は、戦時中の食糧不足改善や疎開の目的があり、募集時には好条件が提示されていたが、その条件は守られなかったのである。
農業だけでは生活が出来ず、早々と東京に戻る開拓移民も居たが、神田要一は北海道鹿追町に残って開拓を続けた。農業だけでは生活できず、現金収入を得るために、郵便配達・新聞配達の仕事もした。
そのようななか、神田家は自宅を火事で焼失し、家財を失ってしまう。神田要一が郵便配達の仕事で不在時のことだった。東京の人間はストーブの扱いに慣れていなかったために起きた火事だった。
この火事で、神田家はバラバラになって、近所の農家の世話になり、近所の尽力で簡易な家が建てられ、再び家族は1つとなった。
その後、神田家は農業で生計を立てられるようになったようで、神田要一は郵便配達の仕事も辞めた。
神田要一は農業経験が無かったので、大人しい馬を購入したのだが、騙されて老馬を掴まされたため、馬は直ぐに死んでしまった。
慌てて若い馬を買い直すと、今度は子供を産み、品評会でも高評価だったので喜んでいたが、何故か死んでしまった。
神田要一は健康診断で影があると言われ、病院生活を送っていたため、神田家は裕福ではなく、子供を2人も進学させる余裕は無かった。
このため、次男・神田日勝が高校進学を諦めて実家の農業を継ぎ、長男・神田一明を東京芸術大学へと進学した。
神田要一は、次男・神田日勝に農業の経営を任せて隠居していたようで、次男・神田日勝が32歳という若さで死去すると、離農し、長男・神田一明に引き取られ、10年後に死去した。
なお、朝ドラ「なつぞら」の登場人物のモデルは「朝ドラなつぞら-実在のモデル」をご覧ください。
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