朝ドラ「べっぴんさん」に登場する商社「KADOSHO(カドショー)」と社長・古門充信(西岡徳馬)のモデルのネタバレです。
KADOSHO(カドショー)は東京の大手商社で、古門充信(こかど・みつのぶ/西岡徳馬)は商社「KADOSHO(カドショー)」の代表取締役社長である。
KADOSHOの古門充信(西岡徳馬)は、エイスの岩佐栄輔(松下優也)に出資し、エイスの東京進出を実現させ、エイスを日本トップのファッションブランドへと導いていた。
KADOSHOの古門充信(西岡徳馬)は、大阪万博を千載一遇のチャンスと捕らえ、エイスの岩佐栄輔社長(松下優也)を責任者としてビックプロジェクトを企画し、キアリスの坂東すみれ(芳根京子)にも協力を要請するのであった。
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大手商社「KADOSHO(カドショー)」と社長・古門充信(西岡徳馬)の実在のモデルは、大手商社「丸紅飯田(現在の丸紅)」です。
エイス(AIS)の岩佐栄輔社長(松下優也)のモデルとなるVANの石津謙介は、大手商社「丸紅飯田」に融資を申し込み、商社の資本を受け入れることになった。
その切っ掛けは、昭和43年(1968年)12月の週刊誌「週刊新潮」が、VAN(ヴァンジャケット)の散漫経営を指摘する記事を書いたことだった。
週刊誌「週刊新潮」の記事を読んだVANのメーンバンク・三和銀行(三菱東京UFJ銀行)は、VANの将来性を懸念して、昭和44年1月に、VANへの融資停止を通告した。
これを受けたVANの石津謙介は、取引のある大手商社「丸紅飯田(現在の丸紅)」に融資を申し込み、丸紅飯田から3億5000万円を借りたのである。
丸紅飯田はVANの規模なら5年で返済するだろうと考えていたのだが、VANの石津謙介は融資を受けた年の秋物・冬物の売上げで3億5000万円を全額返済した。
これに驚いた丸紅飯田は、VANを傘下に収めるため、VANに触手を伸ばしたのである。
VANの石津謙介は、丸紅飯田の支配に対向するため、三菱商事と伊藤忠商事の資本を受け入れてバランスを取ったが、VANは商社からの出向を受け入れたことにより、商社体制時代を迎えた。
この結果、石津謙介はVANへの興味を失っていき、子会社の設立に走った。
一方、VANは商社体制の元で大量生産と拡大路線を突き進み、昭和46年(1971年)は年商97億円から毎年、売上げを伸ばし続け、昭和50年(1975年)には年商452億円を記録した。
しかし、VANは大量生産の影響で利益率は悪化したうえ、大量の在庫を抱えるようになり、昭和48年の第1次オイルショックを機に、頻繁にバーゲンセールを開催するようになり、憧れのブランドから、二束三文のバーゲンブランドへと転落した。
VANは経営が悪化しても「年商1000億円構想」「1都市1営業所構想」を打ち出して拡大路線をとり続けており、暴走気味になっていた。
しかし、昭和51年(1976年)に、VANの経営母体の一角を占める丸紅の社長・檜山廣が、田中角栄のロッキード事件に連座して逮捕され、丸紅ショックに襲われた。
この結果、VANは、丸紅の佐脇鷹平を社長に、丸紅の根川博を副社長に迎え入れ、リストラや不動産の処分を開始したが、暖冬の影響もあり、昭和53年4月6日に会社更生法の適用を申請した。
負債総額は500億円、当時のアパレル業界としては最大の倒産で、戦後の大型倒産としては5番目の規模だった。
その後、丸紅・三菱商事・労働組合が泥沼の争いを続けた末、再建の見込みはないとされ、昭和53年(1960年)10月12日に破産宣告を受けた。負債総額は350億円だった。
こうした実話から考えると、エイスに出資した大手商社「KADOSHO(カドショー)」と社長・古門充信(西岡徳馬)の実在のモデルは大手商社「丸紅」と考えられる。
なお、その他の登場人物のモデルは「べっぴんさん-登場人物・キャスト・モデルまとめ」をご覧ください。
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