NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する万丈目吉蔵(まんじょうめ・きちぞう)の実在のモデルを紹介します。
万丈目吉蔵(藤井隆)は、大阪の天満の長屋に住む貧乏な芸人で、北村藤吉(松坂桃李)とは古くからの知り合いである。
万丈目吉蔵(藤井隆)は非常に面倒見の良い男で、北村藤吉(松坂桃李)と藤岡てん(葵わかな)が米屋「北村屋」を倒産させて長屋に引っ越してくると、色々と面倒を見て世話をやいた。
そして、北村藤吉(松坂桃李)が寄席「風鳥亭」の経営を始めると、キース(大野拓朗)ら長屋芸人とともに寄席「風鳥亭」に出演するようになる。
しかし、北村藤吉(松坂桃李)は寄席の経営が軌道に乗ると、高い契約金を払って一流の落語家「月の井団吾(波岡一喜)」と専属契約を結ぼうとした。
すると、万丈目吉蔵(藤井隆)やキース(大野拓朗)らは、「ワシらに払う給料は無くても、月の井団吾(波岡一喜)に払う金はあるのか」と激怒し、待遇改善を求めてストライキを起こした。
しかし、北村藤吉(松坂桃李)から「月の井団吾(波岡一喜)のように芸に励め」と説教されると、心を入れ替え、新しい芸の研究に励み、「後ろ面」を取得して、ストライキを解除して、再び寄席「風鳥亭」に戻って来たのだった。
それでも、万丈目吉蔵(藤井隆)は何をやっても全く受けない、つまらない芸人で、仕事が無く、妻・万丈目歌子(枝元萌)が営む一膳飯屋「万々亭」の収入で生活しており、毎日のように夫婦喧嘩していた。
万丈目吉蔵(藤井隆)は、妻・万丈目歌子(枝元萌)と夫婦漫才を続ける一方で、新聞に小話の連載を開始すると、思わぬところで文才を発揮し、新聞連載は好評を得た。
漫才で北村商店を大きくしようと考える武井風太(濱田岳)は、新聞連載の反響を受けて、庶民の暮らしの中から漫才のネタを探せば良いと考え、キース(大野拓朗)とアサリ(花菱アチャコ)に銭湯通いを命じる。
こうして、キース(大野拓朗)とアサリ(花菱アチャコ)は銭湯通いを始めるが、自分たちの考えを思うように漫才の台本にすることが出来なかった。
そこで、藤岡てん(葵わかな)は文才を発揮する万丈目吉蔵(藤井隆)に漫才の台本を書くように頼むのだった。
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朝ドラ「わろてんか」に登場する万丈目吉蔵(藤井隆)の実在のモデルは、「漫才の父」と言われる漫才作者・秋田實(秋田実)です。
秋田實(秋田実)は、東京大学に在学中から、新聞などにAB対話型のユーモア文章を書いており、それがきっかけで、吉本興業の漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」に漫才の台本を書くようになります。
「エンタツ・アチャコ」が大ブレイクする前から脚本を書いており、「エンタツ・アチャコ」の出世作「早慶戦」も秋田實(秋田実)の手が入っているとされます。
朝ドラ「わろてんか」の万丈目吉蔵(藤井隆)は、「後ろ面」をしたり、漫才をしたりしていますが、秋田實(秋田実)自身は漫才をしていません。
その後、秋田實(秋田実)の連載が、吉本興業の橋本鐵彦(橋本鉄彦)の目にとまり、吉本興業に招き入れられます。
こうして、秋田實(秋田実)は吉本興業で漫才師の頭脳となり、漫才の台本を手がけるのですが、松竹による漫才師引き抜き事件の時に吉本興業から松竹(新興キネマ演芸部)へと移ります。
さて、戦後の吉本興業は、花菱アチャコを除く全芸人を解雇して演芸を捨て、映画館とキャバレーの経営で復興の道を歩みます。
一方、秋田實(秋田実)は小林一三に招かれて「宝塚新芸座」の旗揚げに参加し、ミヤコ蝶々を排出するのですが、あくまでも大阪での漫才復権を目指す秋田實(秋田実)は、東京進出を主張する小林一三と運営方針が対立します。
そこで、秋田實(秋田実)は弟子の漫才師を率いて「上方演芸」を設立して、「宝塚新芸座」から独立し、昭和33年(1958年)3月に道頓堀の中座で、ミスワカナの13回忌追善興行「漫才顔見世大会」を開催して成功させます。
この成功を受けた松竹は、映画館にしていた道頓堀の角座を漫才の寄席にすることを決め、秋田實(秋田実)の「上方演芸」と勝忠男の「新生プロ」を合併して「松竹新演芸」(後の松竹芸能)を発足します。
このころ、テレビの普及によって映画産業は右肩下がりになっており、映画館を経営する吉本興業も経営が厳しくなり初めていました。吉本興業の演芸部門は花菱アチャコだけという状態でした。
しかし、松竹が角座を漫才の寄席にするという情報が伝わると、吉本興業の演芸派が演芸部門の復活を主張します。
吉本興業の林正之助は演芸部門の復活に反対するのですが、演芸派の橋本鐵彦(橋本鉄彦)らに説得されて演芸部門の復活を許可します。
ちょうど、毎日放送が開局して放送を開始するので、吉本興業は毎日放送と提携し、毎日放送の放送開始日に「うめだ花月劇場」で、「吉本ヴァラエティ(後の吉本新喜劇)」の第1回として花菱アチャコの「アチャコの迷月赤城山」をやり、毎日放送の中継放送を開始します。
このように、秋田實(秋田実)は、吉本興業・松竹・東宝を渡り歩き、戦前・戦後の漫才界を支えて、多くの漫才師を輩出し、「漫才の父」と呼ばれる一方で、戦後の吉本興業が演芸界に復帰するきっかけを作りました。
また、秋田實(秋田実)は、NHKの朝ドラ「心はいつもラムネ色」の主人公・赤津文平のモデルにもなっています。
なお、秋田實(秋田実)の生涯を詳しく知りたいかは、「秋田實(秋田実)の立志伝」をご覧ください。
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