まんぷく-歩行者天国と「あさま山荘事件」の実話とモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する歩行者天国と「あさま山荘事件」の実話とモデルを紹介します。

まんぷく-歩行者天国のあらすじ

昭和45年(1970年)の秋、立花萬平(長谷川博己)は数々の難題を乗り越えてカップラーメン「まんぷくヌードル」を開発したが、「まんぷくヌードル」は売れなかった。

そこで、立花萬平(長谷川博己)は、スーパーでの販売を止め、深夜に働く人たちに向けて「まんぷくヌードル」を売り込むと共に、「まんぷくヌードル」を24時間食べられるように給湯式の自動販売機を設置することに決めた。

しかし、それだけではダメだと考えた今井福子(安藤サクラ)は、色々と思案し、若い子なら受け入れてくれると考え、大阪の歩行者天国で「まんぷくヌードル」を販売することを提案した。

すると、「まんぷくヌードル」は、歩行者天国の若者に受け入れられて、爆発的に売れ、その様子が報道されて、全国の問屋から注文が殺到するようになったのだった。

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まんぷく-歩行者天国のモデル

朝ドラ「まんぷく」では大阪の歩行者天国で「まんぷくヌードル」が販売されたが、モデルは東京・銀座の歩行者天国でのエピソードなので、その実話を紹介する。

さて、日清食品の安藤百福(呉百福)は苦心の末、「カップヌードル」を開発したが、問屋は100円という価格が高いと言って相手にしなかったので、「カップヌードル」を通常の食品ルートで販売することが出来なかった。

そこで、安藤百福(呉百福)は、昭和46年(1971年)9月18日に東京の百貨店で「カップヌードル」の発売を開始した。「カップヌードル」は大阪での販売は考えておらず、東京での販売に専念された。

その一方で、安藤百福(呉百福)はレジャー産業などの特殊ルートで「カップヌードル」を販売していき、「カップヌードル」の利便性が夜間に働く人に認められ、東京の警察・自衛隊・看護婦・タクシー運転手などの間で、受け入れられていった。

そのようななか、安藤百福(呉百福)は、昭和46年(1971年)11月に東京・銀座の歩行者天国で「カップヌードル」を販売する。

歩行者天国で売れれば、その商品はヒットすると言われおり、藤田田が4ヶ月前の昭和46年(1971年)7月に東京・銀座の歩行者天国に面した三越デパート1階に、マクドナルド1号店を出店して成功していた。

安藤百福(呉百福)の「カップヌードル」は、歩行者天国で1日に2万個を売り切るという人気ぶりを見せたので、これが注文がくると思われたが、問屋からの注文は来なかった。

そこで、安藤百福(呉百福)は通常の食品ルートで販売することを諦め、給湯式の自動販売機を設置して、自動販売機で「カップヌードル」を販売することにした。

すると、自動販売機の「カップヌードル」がそれなりに売れたので、噂を聞いた問屋から注文が入るよういなり、「カップヌードル」はよやくスーパーマーケットに並ぶようになったのである。

さて、朝ドラ「まんぷく」では歩行者天国での成功が報道され、「まんぷくヌードル」の全国販売に繋がっていく。

しかし、実話では、この時点で「カップヌードル」は、そこそこ売れるという状態で、まだヒット商品にはほど遠い状態だった。実際に「カップヌードル」がヒットする切っ掛けとなったのは、発売の翌年に発生した「あさま山荘事件」が切っ掛けである。

まんぷく-あさま山荘事件の実話

「カップヌードル」は、自動販売機の設置が功を奏し、ようやくスーパーマーケットなどの店頭に並ぶようになり、そこそこ売れるようになった。

そのようななか、昭和47年(1972年)2月に、連合赤軍が人質を取って長野県北佐久郡軽井沢町の「浅間山荘」に立てこもるという事件が発生し、長野県警・警視庁・神奈川県警・千葉県警などから1日3000人が動員された。

このとき、日清食品は警視庁の機動隊に「カップヌードル」を納品していたことから、警視庁の佐々淳行が日清食品の「カップヌードル」とキッチンカーを持って現場へと駆けつけた。

あさま山荘事件では、地元旅館が警察官の弁当を手配したのだが、長野県・軽井沢はマイナス15度になるので、現場の警察官は弁当が凍ってしまって食べられないという問題が起きていた。

しかし、警視庁だけは、現場のキッチンカーで湯を沸かし、熱々のカップヌードルを食べていた。

そこで、他の県警は警視庁に「カップヌードルを売って欲しい」と頼んだのだが、警視庁はカップヌードルの販売を拒否した。

その日の夜、警備会議で警視庁のカップヌードル独占に苦情が出たので、佐々淳行は警視庁の担当者に他の県警や取材陣にカップヌードルを販売するように指示するが、警視庁は「これは警視庁の予算で購入し、山頂へ運ぶのも、水をくむのも、全て警視庁でやりました。長野もやりたければ、長野のキッチンカーでやればいい」と拒否した。

そこで、佐々淳行は長野県警にはキッチンカーが配備されていないことを教え、予算の措置は後ですることを約束し、カップヌードルを他の県警や取材陣に分ける説得した。

すると、警視庁は他の県警や取材陣にカップヌードルの販売を承諾したが、警視庁の機動隊には50円で販売したのに対し、他の県警には70円で販売したため、今度は値段に対する苦情が上がった。

このカップヌードル事件が警視庁と神奈川県警の遺恨の始まりだという。

とにもかくにも、こうして、警察関係者や報道陣の間で日清食品の「カッププードル」に注目があつまった。

そして、銃撃戦の合間に、極寒の雪の中で、モクモクと湯気が立ち上がる「カップヌードル」を食べる機動隊の様子がテレビで報道された。

「あさま山荘事件」は、テレビの最高視聴率89.7%を記録したという国民の関心事で、国民はテレビの前に釘付けになっていた。

そのよななか、テレビから、機動隊員が銃撃戦の合間に「カップヌードル」を食べていたので、視聴者から「あれは何だ」という問い合わせが相次ぎ、「カップヌードル」は爆発的にヒットしたのだった。

なお、朝ドラ「まんぷく」の各モデルは「まんぷく-キヤストと実在のモデル一覧」をご覧ください。

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