まんぷくヌードルの自動販売機の実話

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する「まんぷくヌードル」の実話の紹介です。

まんぷくヌードルの自動販売機のあらすじ

立花萬平(長谷川博己)は苦労の末に「まんぷくヌードル」の開発に成功したが、販売価格が高かったため、全く売れず、小売店が値下げをすると言い出した。

しかし、立花萬平(長谷川博己)は値下げに反対し、スーパーなどの小売店での販売を諦め、ホテルやタクシー会社など、深夜で働く人に「まんぷくヌードル」を売り込むことにした。

さらに、立花萬平(長谷川博己)は「まんぷくヌードル」を24時、いつでも買えるように自動販売機を設置し、その場で食べられるように、フォークを付けて販売することに決めたのだった。

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まんぷくヌードルの自動販売機のモデル

NHKの朝ドラ「まんぷく」に登場する「まんぷくヌードル」のモデルは、日清食品の「カップヌードル」の自動販売機です。

日清食品の安藤百福(呉百福)は、苦労の末カップラーメン「カップヌードル」を完成させたが、問屋は100円という値段を高いと言い、相手にしなかったので、「カップヌードル」はスーパーマーケットでは販売できなかった。

それでも、安藤百福(呉百福)は100円で販売するという強硬姿勢を貫き、東京の百貨店で販売を開始すると共に、レジャー産業などの特殊なルートに販路を開拓していき、深夜に働く人たちに、「カップヌードル」は受け入れられていった。

歩行者天国で売れた商品はヒットすると言われており、安藤百福(呉百福)は東京・銀座の歩行者天国で「カップヌードル」を売り、1日に2万個の販売を記録して成功したが、問屋からの注文は来なかった。

そこで、安藤百福(呉百福)は通常の通常の食品ルートを断念し、給湯式の自動販売機で「カップヌードル」を販売することにした。

「カップヌードル」の自動販売機は、給湯するチューブが2重になっており、外側のチューブが包装と蓋を貫き、内側のチューブでお湯を注入するというシステムだった。

当時は、お湯が出る自動販売機が無いため、日清食品がメーカーと共同開発したもので、フォークが備え付けられており、その場で「カップヌードル」を食べられるようになっていた。

しかし、「カップヌードル」に給湯すると、食費衛生法の飲食店に当たることが判明したため、安藤百福(呉百福)は東京都衛生局や都議会に新しい条例を作ってもらうなどして、なんとか自動販売機での販売にこぎ着けた。

記念すべき1号機は、東京大手門の日本経済新聞本社の食堂の脇に置かれた。以降、日清食品は1年間で2万台を設置し、自動販売機の設置台数はコカコーラに次いで第2位となった。

すると、自動販売機を設置していた小売店から、「カップヌードルが売れるている」という話が問屋に伝わり、問屋から注文が来るようになり、「カップヌードル」はスーパーなどの小売店の店頭に並ぶようになった。

こうして、日清食品の「カップヌードル」は売れるようになったが、まだヒット商品には程遠く、「カップヌードル」が本格的にヒットするのは翌年の昭和47年(1972年)に発生した「あさま山荘事件」が切っ掛けである。

なお、朝ドラ「まんぷく」の各種モデルは「まんぷく-実在のモデル一覧」をご覧ください。

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