ファミリアの鬼軍曹・坂野通夫が村井ミヨ子に激怒

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第29話「ファミリアの鬼軍曹・坂野通夫が村井ミヨ子に激怒」です。

これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」からご覧ください。

ファミリアの鬼軍曹・坂野通夫

坂野通夫ファミリアの社長を引き受けたが、ファミリア全体を把握してから社長に就任するとして、直ぐには社長に就任せず、レナウン商法によってファミリアの改革を始めた。

レナウン商法の始まりは、尾上清の父・尾上設蔵とされる。尾上設蔵は、戦前の佐々木営業部(レナウン)で支配人を務めた人物である。

父・尾上設蔵は、銀行家を目指して兵庫から大阪へと出て、仲介人の世話で、佐々木八十八が創業した佐々木営業部(レナウン)に就職した。

元々、銀行家を目指していたくらいなので、尾上設蔵は頭が良く、計算に強かった。佐々木八十八はこれに目を付け、尾上設蔵を佐々木営業部(レナウン)の支配人に抜擢した。

支配人に抜擢された尾上設蔵は、大阪の商家が大福帳で販売を管理していた時代に、尾上設蔵は帳簿を付けて管理していたというので、一世代も二世代も先を進んでいた。

これは、みんなが手書きの帳簿を付けている時代に、1人だけエクセルを使って管理するくらい凄いことである。

こうしたレナウン商法は、父・尾上設蔵から子・尾上清へと引き継がれ、戦後、佐々木営業部(レナウン)に就職した坂野通夫は、尾上清から訓導を受けてレナウン商法を学んだ。

そして、坂野通夫がファミリアの社長を引き受けたことにより、ファミリアにレナウン商法が持ち込まれ、坂野通夫はレナウン商法でファミリアの改革を始めたのである。

元々、尾上清のレナウン商法自体が非常に厳しかったうえ、坂野通夫は士族の出で、海軍上がりだったため、尾上清のレナウン商法に輪を掛けて厳しさを増していた。

それに、坂野通夫はガキ大将として育ったため、口よりも手が出るので、ファミリアの改革を始めた坂野通夫は、まさにファミリアの鬼軍曹であった。

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坂野通夫が村井ミヨ子に激怒

「坂野惇子さん、田村光子さん、田村枝津子さん達の中で仔犬がじゃれる様な日々でした」

生まれつき体が弱かった村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、坂野惇子に誘われ、ファミリアの前身となる「ベビーショップ・モトヤ」にアルバイト的に参加していた。

村井ミヨ子は、創業メンバーの最年少で、坂野惇子田村枝津子(田村江つ子)より5歳下で、最年長の田村光子より16歳下ということもあり、ファミリア設立時もアルバイト的な気分が抜けていなかった。

村井ミヨ子は、働くと言うよりも、坂野惇子・田村枝津子・田村光子に混じって子犬がじゃれているような感じであったのである。

ある日、ファミリアの改革を進める坂野通夫が、村井ミヨ子のところにやってきて、「村井さん、毛糸は一ヶ月にどれくらい使うの?」と尋ねた。

すると、村井ミヨ子はタンスの引き出しに入れてあった毛糸をいくつか取り出し、「ほら、引き出しの底が見えるでしょ?底が見えたら、このカゴに一杯買うの」と教えた。

坂野通夫が「それは1ヶ月に1度なの?2度なの?」と尋ねると、村井ミヨ子は呆れたように「そんなこと分からないわよ。底の板が見え始めたらよ」と答えた。

それを聞いた坂野通夫は、青筋を立てて烈火の如く怒り出し、「一ヶ月にどれだけ毛糸を使って、いくらの製品を造るかわからんで仕事をしていると言えるか」と、村井ミヨ子を叱りつけた。

叱られた村井ミヨ子は、「ちゃんとしてるのに、なんでそんな怖い顔で怒るのよ。そんなことを言うのなら、私はもう明日から知らない。プンプン」とへそを曲げてしまった。

ところが、2~3時間もすると、坂野通夫がケーキを買ってきて、笑顔で「村井さん、ケーキ食べるかい」と誘ってくれたので、村井ミヨ子は怒っていたことも忘れ、みんなで楽しくお喋りをしながらケーキを食べたのであった。

坂野惇子の立志伝-第29話は、「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝の目次」から選んでください。

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