朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子(佐々木惇子)の生涯を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第16話「村井ミヨ子がベビーショップ・モトヤ(ファミリア)に参加」です。
このページは「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第16話です。これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」からご覧ください
坂野惇子・田村枝津子(田村江つ子)・田村光子の3人は、単なる手芸店を出店しようとしてたが、坂野通夫と佐々木八十八の助言により、特別な商品(べっぴんさん)を売るベビーショップを開業することに決めた。
そして、ベビーショップ・モトヤを開くことが決まると、坂野惇子は「坂野惇子と村井ミヨ子(中井ミヨ子)の出会い」で知り合った親友の村井ミヨ子(中井ミヨ子)にもベビーショップ・モトヤへの参加を呼びかけた。
村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、日綿実業(ニチメン→双日)の東京支店長・中井栄三郎の三女として、大正12年(1923年)3月4日に東京市麹町区3番地で生まれた。
村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、へその緒が首に巻き付いた仮死状態で生まれたうえ、未熟児だったため、生まれつき体が弱く、子供の頃から病弱だった。
ベビーショップ・モトヤへの参加を誘われた村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、ちょうど、病弱な日々をなんとしようと考えていたところだったので、家族に「手伝いたい」と相談すると、父・中井栄三郎も夫・村井完一も「ご迷惑を掛けない程度なら」と賛成してくれた。
ところが、それを知った村井ミヨ子(中井ミヨ子)の主治医がベビーショップ・モトヤへの参加に反対したため、賛成していた夫・村井完一が一転してベビーショップ・モトヤへの参加を反対したのである。
しかし、父・中井栄三郎が「無理をしないで、ご迷惑を掛けない程度なら仕事をもった方がいい。今後の世の中は女性も家の中に閉じこもるべきではない」と説得してくれたので、反対していた夫・村井完一も村井ミヨ子(中井ミヨ子)が働くことを許した。
こうして、村井ミヨ子(中井ミヨ子)はベビーショップ・モトヤの創業に加わったのである。
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ベビーショップ・モトヤの開業が決まると、坂野惇子の自宅と、田村光子の自宅に別れて、商品作りが始まった。
坂野惇子の自宅には、村井ミヨ子(中井ミヨ子)の他にも、夫・坂野通夫の知人の奥さん6人ほどが集まり、手芸品作りを開始する。
一方、田村光子は、岡本の自宅に友達数人を集めて、手芸品作りを開始した。
他方、田村枝津子(田村江つ子)は、ちょうど3人目を妊娠中だったので、山口信子のグループに毛糸を委託して、その取り次ぎを担当した。
主婦として母親として失格しないよう、お互いの家庭環境を考慮して、十分に話し合って役割分担を決めたが、みんな分担以上の仕事を引き受け、馬車馬の如く働いた。
そして、3ヶ月ほどして、ある程度の手芸品が整うと、坂野惇子は神戸三宮センター街にある靴店「モトヤ靴店」の店内で、ショーケース2台だけの「ベビーショップ・モトヤ」をオープンした。
ベビーショップ・モトヤのオープンは、敗戦から3年後、クリスマスも押し迫った1948年(昭和23年)12月4日のことだった。第17話へ続く。
坂野惇子の立志伝の第17話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」から選んでください。
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