NHKラジオドラマ「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」などを手がけた放送作家・長沖一(ながおき・まこと)の家族を紹介する家系図です。
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祖父は加賀藩士(下級藩士だったようだ)で、明治維新を迎えて没落し、大阪へ出てきて、綿屋を始めた。
長沖英一は、商家に生まれながら学問が好きで、フランス語を習ったりしていたという。
祖父の商売が成功したのか、長沖家は多くの借家を持っており、長沖英一の代で商売は辞めて家賃で生活していた。
長沖英一は、厳しい人だったようで、長沖一は父・長沖英一に叱られたことから、子供達を叱ることは無かったという。
長沖一は、6人兄弟(5男1女)の長男として生まれ、東京帝国大学を卒業後、秋田実に誘われて大阪の吉本興業の文芸部に入り、吉本興業の頭脳陣として活躍、戦時中は、皇軍慰問隊「わらわし隊」を命名し、芸人を率いて各地を慰問した。
戦後は、吉本興業を退職し、帝塚山学院で教鞭を執りながら、文筆活動を行い、花菱アチャコや浪花千栄子が出演する国民的ラジオドラマ「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」などを手がけて放送作家として活躍した。
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妻の皆吉和子は、茨城県の出身。父親は医師・皆吉質で、秋田実の紹介で、昭和18年(1943年)11月に長沖英一と結婚した。
長沖渉は立命館大学を卒業後、NHKに入社し、ディレクターとして朝ドラなどを手がけた。
長沖渉が手がけた朝ドラ「ふたりっ子」は、高視聴率を記録し、「おしん」以来の大ヒットとなるが、次に手がけた朝ドラ「オードリー」は低視聴率を記録した。
その後、NHKを退職してフリーの演出家に転向し、「鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記」などを手がけている。
参考文献:長沖一の立志伝
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