NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデル浪花千栄子の生涯を描く立志伝の第4話「おちょやんになる」です。
浪花千栄子の立志伝の目次は「おちょやん-浪花千栄子の立志伝の目次」をご覧ください。
浪花千栄子は、継母に嫌われて祖母の家に預けられたが、祖母の家も困って、口減らしのために、大阪・道頓堀の仕出し料理屋「浪花料理(浪花屋)」へ女中奉公に出て、「おちょやん」となった。
「おちょやん」というのは、「おちょぼ」が訛った言葉で、「仲居見習い」「女中見習い」のことである。「おちょやん」は「おちょうはん」とも呼ばれた。
さて、浪花千栄子は弁当箱洗いから始まり、10歳から飯炊きの仕事をするようになるが、「浪花料理」の飯炊きは2年と続かないと言われた厳しい職場で、朝6時から夜中2時まで、休む事無く働かされた。
「浪花料理」は、店のドブに金網が仕掛けてあり、流れてきたタバコの吸い殻やゴミなどが、金網に溜まるようになっており、流し台から流れたカスも金網に集まるようになっていた。
寄席から回収していた数百の弁当箱を洗わなければならないのだが、「浪花料理」の主人は非常に厳しい人で、うっかりとご飯粒を流してしまうと、ドブに仕掛けた金網に集まったゴミの中からご飯粒を拾って浪花千栄子に食べさせた。飲み込むまで監視するという徹底ぶりである。
食べるのが嫌なら、1粒も粗末にするなという教えだが、浪花千栄子は子供心に辛い思いをしたという。
主人の横暴極まるエピソートは多すぎるので全ては紹介できないが、お使いが遅いだの、皿を割っただのと言い、少しでも落ち度があると、出刃包丁の背で頭を叩き、事あるごとに折檻するので、浪花千栄子は気の休まる暇がない。
お使いに行った帰りに、お釣りを落としたときは、主人に殺されると思ったという。
風呂は3日に1回だった。風呂と言っても、寝に行くだけだった。
夜中の1時半くらいに全ての仕事を終えると、風呂屋へ行き、体も洗わずに、湯に入り、風呂の隅っこで寝るのである。
そのうち、風呂屋の閉店時間が来ると、店の人が掃除に来て、起こしてくれるのである。
そんな浪花千栄子の安住の地はトイレだった。
お使いで八百屋へ行くと、新聞紙や講談本に商品を包んでくれた。新聞や講談本には、ふりがなが振ってある。
浪花千栄子は小学校に2ヶ月しか通っていないので、字が読めないため、包み紙の新聞や講談本のふりがなを頼りに字の勉強をした。
しかし、勉強などしていると主人に叱られるので、浪花千栄子は新聞紙や講談本を懐に入れてトイレに入り、トイレで新聞や講談本を読んで、密かに字を覚えたのである。
ところで、トイレと言えば、浪花千栄子は、おちょやん時代にトイレで自殺を図っているので、そのときのエピソードを紹介しよう。
「浪花千栄子が自殺未遂をした理由」へ続く。
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