NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデルとなった女優・浪花千栄子の生涯を描く立志伝の第2話「後妻が家にやってきた」です。
浪花千栄子の立志伝の目次は「おちょやん-浪花千栄子の立志伝の目次」をご覧ください。
浪花千栄子は4歳の時に母・南口キクが死んだので、朝早く居起きて家事をして、3歳下の弟のお守りをしながら、鶏の世話をした。
父・南口卯太郎は鶏の行商をしているので、仕事に出かけると、家に大人がいなくなるので、浪花千栄子が弟や鶏の面倒を見なければならないため、浪花千栄子は7歳になっても、小学校へ行かせてもらえなかった。
浪花千栄子が井戸に水を汲みに行くと、いつも、同年代の子が上級生に引率されて登校しているので、その様子を見て「お母ちゃん、お母ちゃん」と言って泣くが、自分は違うのだと言い聞かせた。
しかし、浪花千栄子が8歳の時に父親が再婚したので、大伴小学校へ行けることになった。
結婚式の日に、祖母も「あの人をお母ちゃんと呼びなさい。そしたら学校へ行けるからな」と喜んでくれた。
しかし継母は悪妻の手本のような女だった。継母は明るなってきても朝寝をしたままで、食事の準備はしない。
浪花千栄子が「学校へいけるんやろか」と心配しながら、朝ご飯の支度をしていると、ようやく、継母が起きているという有様だった。
とにもかくにも、浪花千栄子は1年遅れで学校へ行けることになったが、学校は楽しくなかった。
1里(約4km)離れた小学校に通うので、毎朝、自分で弁当を作るのだが、浪花千栄子は子供なので、お粥は炊けても、ご飯を炊くことが出来なかったため、お粥を絞って弁当箱に入れ、おかずは出汁雑魚に醤油をかけたものだった。
しかし、他の子供達は母親が作ってくれた弁当で、卵焼きなどが入っており、お昼になると同級生が浪花千栄子の弁当を馬鹿するので、浪花千栄子は子供心に情けなく思い、弁当を持って行くのをやめた。
このため、弁当の時間になると、浪花千栄子はイチョウの木の下へ行き、みんなが弁当を食べ終わるのを待っていた。
さらに、学校生活で嫌なことがもう1つあった。
学校に2銭の月謝を払わなくてはならないのだが、父・南口卯太郎に月謝を出して欲しいと頼むと、父・南口卯太郎は「お母さんに言いなさい」と言い、お金をくれない。
そこで、継母に月謝が欲しいと頼むと、継母は「お父さんに言いなさい」と言って相手にしてもくれない。
浪花千栄子は先生から6度も月謝を催促されたが、月謝を持って行けなかったので、終いに先生から、怖い顔で「お母さんにこれを渡しなさい」と手紙を渡された。
しかし、帰って継母に手紙を渡すと、継母はサッと手紙に目を通し、そのまま釜土の火の中に放り込んでいまい、結局、2銭の月謝をくれなかった。
このため、浪花千栄子は、先生の怖い顔を思い浮かべ、学校へ行くのをやめた。
浪花千栄子の生涯で、学校生活は、後にも先にも、この2ヶ月足だけである。浪花千栄子は満足に字も読めないため、晩年まで苦労することになる。
「浪花千栄子の立志伝-奉公に出る経緯」へ続く。
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