浪花千栄子の立志伝-渋谷天外の妻になった苦労

NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデルとなる女優・浪花千栄子の生涯を描く立志伝の第14話「浪花千栄子の立志伝-渋谷天外の妻として苦労する」です。

浪花千栄子の立志伝の目次は「おちょやん-浪花千栄子の立志伝の目次」です。

不遇の時代

昭和6年(1931年)9月に「松竹家庭劇」は突然、解散した。原因は2代目・渋谷天外曾我廼家十吾の喧嘩別れだと言われる。

しかし、松竹の主導で、曾我廼家十吾と2代目・渋谷天外が握手し、9ヶ月後の昭和7年5月に「松竹家庭演劇」が再発足した。

その後、「松竹家庭演劇」は人気が出てきて軌道に乗り、東京へも進出して東京でも活躍するようになるが、浪花千栄子は女優として不遇の時代を迎えた。

2代目・渋谷天外は脚本も書いていたのだが、脚本家の妻が良い役を取っては劇団の運営に支障が出るというということで、浪花千栄子は良い役が貰えっず、誰もが嫌がるような役ばかりを押しつけられていた。

2代目・渋谷天外が浪花千栄子のために書いた脚本でも、キャスティングを決めるまでの権力は無かったので、浪花千栄子は役を貰えなかった。

しかも、出演者が事故で出られない時には必ず代役を頼まれるので、全ての舞台を観て、全ての台詞を覚えていたという。

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結婚生活も苦労の連続

結婚生活も大変だった。夫の2代目・渋谷天外は女中が作った物は食べないので、浪花千栄子は食事には気を遣って苦労した。

さらに、2代目・渋谷天外は給料を全部、女遊びに使ってしまううえ、面倒見が良いので、家には13人が居候していたので、お金には苦労した。

2代目・渋谷天外は面倒見が良いので、多いときには13人の居候が居たのだが、浪花千栄子の給料だけで賄わなければなかった。

しかも、2代目・渋谷天外は「新協劇団」の影響を受けて共産主義になっており、戦時中に「赤(アカ)」と呼ばれた共産党員を連れて帰ってくるので、浪花千栄子は恐ろしい思いをしながら、「赤」の世話をした。

そのうえ、「赤」が「25円もあれば、満州へ逃げられる」と言うと、2代目・渋谷天外が「おい、千栄子!25円こさえたれ」と言うので、浪花千栄子はお金を工面するため、質屋にも走った。

2代目・渋谷天外が初めて給料袋を持って帰ってきたのは、戦争の影響で芸者たちが女子挺身隊に取られてしまい、遊ぶところが無くなってからだった。

浪花千栄子の立志伝-松竹新喜劇の旗揚げ」へ続く。

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