朝ドラ「べっぴんさん」の第12週で発生する「坂東紀夫の退職とキアリスの経理問題」の実話です。
坂東すみれ(芳根京子)は「朝帰りビンタ事件」で坂東紀夫(永山絢斗)にビンタされて以降、夫婦関係がギクシャクしていた。
そのようななか、板東すみれ(芳根京子)は、保育園の先生から、娘・坂東さくらの靴が小さいと教えられる。
坂東さくらは、板東すみれ(芳根京子)が仕事で忙しそうにしていたため、靴が小さくなったことを言わずに我慢していたのだ。
このため、板東すみれ(芳根京子)は、夫・坂東紀夫(永山絢斗)にも、娘・坂東さくらにも迷惑を掛けているといい、多田良子(百田夏菜子)・田坂君枝(土村芳)・小野明美(谷村美月)に謝罪して、子供服ブランド「キアリス」を退職した。
一方、坂東営業部で働いている坂東紀夫(永山絢斗)は、衣装教室の責任者に抜擢されたが、大勢の女性を前にして緊張して倒れるという醜態をさらしていた。
このようななか、キアリスを辞めた板東すみれ(芳根京子)は、家族と過ごす時間が増えたが、キアリスガイドを提案したり、クリスマスの目玉商品を提案したりして、自宅で楽しそうに作業するようになる。
板東すみれ(芳根京子)の作業を手伝う坂東紀夫(永山絢斗)は、板東すみれ(芳根京子)が働いているときの嬉しそうな顔を見て、板東すみれ(芳根京子)には仕事が必要なのだと感じるようになった。
ところで、キアリスの経理が大ざっぱだったため、坂東紀夫(永山絢斗)ら男組(夫3人組)が仕事帰りにキアリスに立ち寄り、キアリスの経理を見ていた。
しかし、キアリスは大急百貨店に出店したこともあり、経理の量が増大する一方で、仕事帰りの片手間で処理するのは難しくなっていた。
このため、小澤勝二(田中要次)はキアリスに「そろそろ、正式に経理を雇った方が」と忠告するが、多田良子(百田夏菜子)は「知らない人は嫌」と言い、拒否した。
坂東紀夫(永山絢斗)は何を考えているのか分からない性格なので、明確な理由は不明だが、こうした状況を受け、坂東営業部を辞め、キアリスの経理を担当することにした。
こうして、坂東紀夫(永山絢斗)はキアリスに入り、キアリスの改革に目覚めるのであった。
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坂東紀夫(永山絢斗)のモデル・坂野通夫は、復員後、就職していた大阪商船(商船三井)に復帰したが、大阪商船(商船三井)は戦争でほとんどの船を失っており、従業員は全員解雇しなければならないという状態だった。
そこで、坂野通夫は、佐々木八十八と尾上清の強い勧めを受け、大阪商船(商船三井)を退職し、尾上清が再開した東京編織(レナウン・メリヤス工業)に就職した。
その後、尾上清が戦時中に消滅していた佐々木営業部(レナウン)を再開させたので、坂野通夫も佐々木営業部(レナウン)へと移った。
尾上清は、「佐々木家と当家は主従の関係」「レナウンは佐々木家からの預かり物」と考えており、坂野惇子(佐々木惇子)の夫である坂野通夫を次期社長にするため、厳しく教育した。
そのようななか、妻の坂野惇子(佐々木惇子)はモトヤ靴店のショーケース2階を借り、「ベビーショップ・モトヤ」を開業した。
ベビーショップ・モトヤは繁盛し、坂野惇子(佐々木惇子)らは寝る暇を惜しんで馬車馬の如く働いたのだが、坂野通夫らが開業から1ヶ月後に決算してみると、1ヶ月の利益はわずかに毛玉3個分という有様だった。
坂野惇子(佐々木惇子)らは、お嬢様育ちだったので、原価を知ってしまうと、商品に高い値段を付けることに罪悪感を覚えてしまい、高い値段が付けられなかったのである。
さて、ベビーショップ・モトヤは、商品を並べる側から売れていくような状態だった。
そこで、モトヤ靴店の店主・元田蓮は、ベビーショップ・モトヤに来る上品な女性客にも靴を買って貰おうと考え、奥の作業場を潰して応接室に作り替えた。
ところが、坂野惇子(佐々木惇子)らは、良き部屋が出来たと思い、応接室を事務所や作業場代わりに使い、応接室を占領してしまったのである。
流石の店主・元田蓮も、本業に支障が出て困るので、坂野惇子(佐々木惇子)らを独立させようとしたが、坂野惇子(佐々木惇子)が「動くのはいや。絶対にいや」と言い張るので、追い出しは失敗に終わる。
しかし、その後、モトヤ靴店の西側に隣接していた万年筆点が移転して空き店舗になったので、店主・元田蓮は、なんとか坂野惇子(佐々木惇子)を説得し、万年筆店へと移ってもらった。
こうして、坂野惇子(佐々木惇子)のベビーショップ・モトヤは、モトヤ靴店から独立して、独立店舗となったのである。
そして、独立店舗となった直後、モトヤ靴店の南側に隣接していた衣類小売店「レナウン・サービス・ステーション」が撤退するという情報が伝わってきた。
坂野通夫と田村寛次郎は、これを機にレナウン・サービス・ステーションへと移り、会社組織にする事を勧めた。
こうして、坂野惇子(佐々木惇子)はレナウン・サービス・ステーションを取得し、株式会社ファミリアを設立したのである。
そして、ファミリアを設立して間もなく、ファミリアは阪急百貨店の社長・清水雅の目に止り、阪急百貨店からの要請を受け、阪急百貨店へ出店した。
ところで、坂野惇子(佐々木惇子)らは、良質な子供服を作る事には長けていたが、数字には弱かったので、経理の方はサッパリだった。
ドラマ「べっぴんさん」に登場するキアリスは経理を雇うことを拒否していたが、史実のファミリアは信頼できる経理担当者を雇っていた。
ところが、売り上げに対して余りにも利益が少ないので、調べてみると、ファミリアの経理担当者が不正をしていた事が判明したのである。
しかし、坂野惇子(佐々木惇子)らは動じず、あっけらかんとしていた。
このころ、ファミリアの監査を務めてくれていた田村陽(飯田陽)が、洋反物商「田村駒」の監査に就任したため、ファミリアの監査を辞任した。
さらに、ファミリアの常務取締役を務めてくれた川村商店の川村睦夫が、ファミリアが軌道に乗ったことを理由に、常務取締役を辞任した。
こうした混乱を受け、ファミリアの初代社長を務めてくれた店主・元田蓮も、「皆に推されて名目上の社長になっているが、私には本業のシューズショップという仕事があるので、なにもできないのが心苦しい。このさい、実際にファミリアに打ち込める人が社長になるべきではなかろうか」と言い、辞意を表明した。
このため、次期社長について話し合いが行われる。
ファミリアの全てを把握している坂野惇子(佐々木惇子)が社長に適任だったが、坂野惇子(佐々木惇子)は依存心が強かったので「会社の顔である社長は男性でなければならない」と言って断固として拒否した。
そこで、ファミリア創業メンバーの夫3人、坂野通夫・田村寛次郎・田村陽(飯田陽)が集まって話し合い、確かに会社を大きくするためには、男性が社長になる方が良いだろうということで、夫3人の中から社長を選ぶことになった。
しかし、田村寛次郎と田村陽(飯田陽)は、田村家の洋反物問屋「田村駒」が粉飾決算で融資を得て、なんとか生きながらえているという時期だったので、ファミリアの社長を兼任できるような状況では無かった。
そこで、最年少の坂野通夫が、田村寛次郎と田村陽(飯田陽)に乞われる形で、ファミリアの社長を引き受けたのである。
これに驚いたのだが、佐々木営業部(レナウン)の社長・尾上清だった。
佐々木営業部(レナウン)は佐々木家からの預かり物と考えている尾上清は、坂野通夫を佐々木営業部(レナウン)の次期社長にしようと考えていたので、坂野通夫を手放すわけにはいかない。
尾上清は坂野通夫を呼んで、思い止まるように説得したが、坂野通夫の意思は堅かった。
終いには尾上清は、坂野通夫を引き留めるのを諦め、「いつでも戻ってきていい。席を空けて待っている」と言い、佐々木営業部(レナウン)からの出向という扱いで、坂野通夫をファミリアへと送り出した。
こうして、坂野通夫は、昭和27年(1952年)10月にファミリアの取締役に就任した。
そして、翌年の昭和38年(1963年)5月にモトヤ靴店の店主・元田蓮はファミリアの社長を辞任した。
しかし、坂野通夫は、ファミリアの全体を把握してから、社長に就任するいう考えを持っていたので、取締役のままファミリアの改革に着手した。このため、ファミリアは、しばらくの間、社長不在が続いたのであった。
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