朝ドラ「なつぞら」小畑雪次郎のモデルは小田豊

NHk茶の朝ドラ「なつぞら」の小畑雪次郎(おばた・ゆきじろう)のモデルとなった小田豊について紹介します。

小畑雪次郎のモデルは小田豊

朝ドラ「なつぞら」の小畑雪次郎(山田裕貴)のモデルは、「六花亭」の2代目社長・小田豊(おだ・ゆたか)です。

小田豊は昭和22年(1947年)に北海道帯広市で、菓子屋「帯広千秋庵」を営む小田豊四郎の長男として生まれた。

子供のころは医者か弁護士になりたかったが、両親に懐柔されて高校生の時に菓子屋になることを決めた。

「なつぞら」の小畑雪次郎(山田裕貴)は高校を卒業すると上京して東京・銀座の「川村屋」で修行しているが、モデルの小田豊は慶應義塾大学へ進学した。

そして、小田豊は22歳で慶應義塾大学を卒業して、父親が決めた京都の老舗菓子屋「鶴屋吉信」で修行し、25歳の時に父・小田豊四郎が経営する「帯広千秋庵」に副社長として入社した。

既に、父・小田豊四郎が日本初のホワイトチョコレートをヒットさせており、工場がフル稼働していた。

やがて、「帯広千秋庵」はホワイトチョコレートの類似品問題に対応するため、千歳空港へ進出しようとするが、千歳空港は本店「札幌千秋庵」の商圏だったため、本店「札幌千秋庵」が許さず、暖簾の返上を求めてきた。

父・小田豊四郎は商圏問題で悩み抜くが、暖簾の返上を決意し、「帯広千秋庵」の暖簾を返上して昭和52年(1977年)5月に「六花亭製菓」へと社名を変更した。

そして、父・小田豊四郎は、社名変更を記念して、「マルセイバターサンド」を発売した。「マルセイバターサンド」は現在でも六花亭の売り上げの半分を占めるベストセラーとなっている。

その後、「六花亭製菓」は千歳空港への進出を成功させ、北海道各地に進出して、北海道で有数の菓子メーカーへと発展した。

小田豊が「六花亭製菓」の社長に就任したのは、平成7年(1995年)、48歳のときだが、副社長時代の早い時期から、実務的なことは任されていたようで、積極的な設備投資で労働問題などに取り組んだ。

小田豊は、六花亭が倒産しても残る店舗を作るということで、店舗の基本設計を手がけたり、ドイツマルク建普通社債を発行して資金を調達したり、菓子職人とは思えないほど、多才な才能を発揮し、六花亭を北海道で有数の優良企業へと成長させた。

なお、朝ドラ「なつぞら」の登場人物の各モデルは「なつぞら-実在のモデル」をご覧ください。

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