「サッポロ一番」で有名なインスタントラーメン大手「サンヨー食品」の社名の由来の紹介です。
酒造販売店「泉屋酒店」を営む井田文夫と長男・井田毅は、親戚から乾麺事業を引き継いで、昭和28年(1953年)11月30日に群馬県前橋市新町(群馬県前橋市朝日町)に富士製麺を創業した。この富士製麺が後のサンヨー食品である。
群馬県は日本でも有数のうどんの産地で、乾麺の激戦区だったが、富士製麺は新潟県で販路を開拓して成功し、群馬県でも1位・2位を争う乾麺製造業者へと成長した。
手作業の乾麺製造に限界を感じた長男・井田毅は、昭和33年に新聞で日清食品の呉百福(安藤百福)が販売する即席麺「チキンラーメン」のことを知り、取引先の日清製粉に「チキンラーメン」を取り寄せて貰い、「チキンラーメン」を食べて衝撃を受けた。
このときは家族の反対に遭って即席麺に進出することはできなかったが、乾麺大手の明星食品なども即席麺に参入したことから、家族の反対も和らぎ、昭和35年に即席麺への参入を決定し、即席麺の研究を開始し、昭和36年4月に即席麺の製造を開始した。
富士製麺の即席麺は全く売れなかったが、即席麺業界に参入する水産加工大手「日魯漁業(ニチロ)」の下請けとなって業績を上げた。
このとき、群馬県高崎市に富士製麺という同じ名前の会社があり、高崎市の富士製麺もラーメン(ダルマラーメン)を製造していた。
このため、富士製麺が日魯漁業(ニチロ)の下請けとなって成功して大きくなると、高崎市の富士製麺宛ての郵便が、舞い込んでくるようになった。
そこで、富士製麺は昭和36年(1961年)7月に、「サンヨー食品」という社名に変更したのである。
スポンサードリンク
サンヨー食品という社名は、「太平洋」「大西洋」「インド洋」の三大洋を股にかけて活躍するという願いを込めて付けられた。
しかし、これは表の由来で、実際は「山陽特殊鉄鋼」「三洋電機」など「サンヨー」がつく会社は大きいということで、有名会社にあやかって「サンヨー食品」と名付けたというのが真相である。
(注釈:山陽特殊鉄鋼は昭和40年に倒産して、山崎豊子の小説「華麗なる一族」のモデルとなった。三洋電機もパナソニックに吸収された。)
食品業界では、既にサンヨー印の缶詰で有名な逸見山陽堂(サンヨー堂)が「サンヨー」の商標を持っていたため、逸見山陽堂(サンヨー堂)から苦情が来た。
また、サンヨー食品の本社は東京都中央区にあったが、東京都中央区には逸見山陽堂(サンヨー堂)の本社があったため、サンヨー食品は本社を登記できなかった(注釈:の法律では同一地域に似たような社名は登記できなかった)。
このため、サンヨー食品は別の地域に事務所を借りて、そちらで本社の登記だけをした。
スポンサードリンク
Copyright(C)2010年9月 All Rights Reserved.