渋谷喜久栄(九重京子)の立志伝

2代目・渋谷天外の妻となる渋谷喜久栄(九重京子)の立志伝です。

渋谷喜久栄(九重京子)の立志伝

渋谷喜久栄(九重京子)渋谷喜久栄(しぶや・きくえ)は、大正10年(1921年)10月1日に大阪府大阪市大正区で生まれた。母親は産婆で、父親は分らない。

母親も父親も一人っ子同士だったため、結婚が許されず、渋谷喜久栄が生まれて直ぐに別れたので、父親の顔も名前も知らないという。

さて、渋谷喜久栄は小学校を卒業後、宝塚音楽歌劇学校へ進学したが、自宅から遠いと理由で、1年後に大坂松竹歌劇団(OSK)へ入り直し、百人一首から「九重京子」という芸名を付けた。

舞台稽古の時に上級生が倒れたので、渋谷喜久栄は、いきなり大役を任され、14歳の時に初舞台を踏み、以降は男役スターとして活躍した。

後に「東京ブギウギ」で一世を風靡する笠置シズ子は、大坂松竹歌劇団の後輩で、渋谷喜久栄は笠置シズ子の面倒をみた。

笠置シズ子は、歌や踊りが上手かったが、何にでも消毒する変わった子だったという(笠置シズ子は潔癖症だった)。

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渋谷天外との出会い

渋谷喜久栄は、戦後の昭和22年に大坂松竹歌劇団を引退し、歌謡ショーに出演したり、巡業に出たりしていた。

そのようななか、昭和23年11月に「喜劇王」と呼ばれた曽我廼家五郎が死去したため、松竹は劇団「曽我廼家五郎劇」「松竹家庭劇」「すいーと・ほーむ」を合併して、「松竹新喜劇」を旗揚げした。

渋谷喜久栄は巡業中に、松竹から「松竹新喜劇を結成するので、入団しないか」と誘われ、「松竹新喜劇」に入り、2代目・渋谷天外と出会った。

入団から1年ほどして、ようやく、みんなについて行けるようになったころ、渋谷天外から、話を聞いて欲しいと誘われた。妻が重いと言い、悩んでいるようだった。

やがて、渋谷喜久栄は渋谷天外と不倫関係になった。「僕のために女優を辞めて欲しい」と言われたので、「はい」と答えた。

しかし、渋谷天外には妻が居り、渋谷天外の妻は松竹新喜劇の女優・浪花千栄子で、自分を弟子のように可愛がってくれる恩人だった。

結婚

やがて、渋谷喜久栄が妊娠すると、子供が居なかった渋谷天外は、40歳を過ぎて我が子を抱ける喜びから、妻・浪花千栄子との離婚を選び、渋谷喜久栄と結婚する事を選んだ。

渋谷喜久栄は出産の準備もあるため、昭和25年5月に松竹新喜劇を退団し、25年12月に長男・渋谷成男を出産し、昭和29年12月に次男・渋谷喜作が生まれた。

長引くトラブルを心配した後援者が話し合いの場を設けたが、話し合いは不調に終わり、浪花千栄子は2代目・渋谷天外と離婚し、昭和26年4月に松竹新喜劇を辞めると、姿を消して、京都で隠れ住んだ。

しかし、このときに浪花千栄子が籍を抜かなかったので、渋谷天外と渋谷喜久栄は入籍する事ができなかった。

浪花千栄子と渋谷天外の離婚が成立したのは昭和29年12月で、渋谷喜久栄は昭和30年3月に渋谷天外と入籍する事が出来た。

そして、昭和32年12月、結婚式を挙げていなかった渋谷天外夫婦と曽我廼家五郎八夫婦は、大坂・中座で行われた松竹新喜劇10周年公演の夜の公演が終わると、舞台の上で合同結婚式を挙げた。

こうして、正式に夫婦になると、渋谷天外から「アンタが本を書くんやない。本を書くのは僕やさかい、勘違いしたらアカンで」と釘を刺された。

どうやら、「正式な妻になったからと行って、出しゃばったらアカン。仕事には口を出すな」という意味だったようだ。

その後、渋谷喜久栄は、妻という立場で2代目・渋谷天外を支え続け、昭和58年(1983年)3月18日に渋谷天外を看取り、平成27年(2015年)4月5日に死去した。94歳だった。

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