NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する新世紀芸能のモデルと実話を紹介します。
昭和10年(1935年)、藤岡てん(葵わかな)は東京で「マーチン・ショウ」を開催して連日の満員大入りを続けるなか、北村笑店で大きな問題が発覚する。
芸能事務所「新世紀芸能」が北村笑店の「ミスリリコ・アンドシロ-」を引き抜こうとしていることが判明したのである。
武井風太(濱田岳)が直ぐに問いただすと、「ミスリリコ・アンドシロ-」は移籍の話は断ったと釈明したので、その場は収まった。
しかし、武井風太(濱田岳)は「新世紀芸能」が他にも芸人を引き抜こうとしているという噂を耳にして、亀井庄助(内場勝則)に芸人を見張るように命じたのだった。
一方、秦野リリコ(広瀬アリス)は、相方・川上四郎(松尾諭)に異変を感じ、川上四郎(松尾諭)が不倫をしているのでは無いかと疑うが、藤岡てん(葵わかな)は「新世紀芸能」に移籍するつもりではないかと疑うのだった。
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NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する芸能事務所「新世紀芸能」の実在のモデルは、松竹系の「新興キネマ演芸部」です。
松竹は、一足先に東京へ進出しており、関東大震災で大打撃を受けたが、この時に多くの演芸場や寄席を手に入れることに成功し、東京での基盤を確立した。
そのようななか、宝塚少女歌劇で成功した小林一三が、昭和3年に東京に進出し、昭和7年に「東京宝塚(東宝)」を設立したことにより、東京で東宝と松竹が激しく対立するようになる。
そして、小林一三の東宝が昭和10年に日本劇場(日劇)を取得して、本格的に映画界に進出すると、松竹と東宝の対立は映画界にも及んだのである。
小林一三の東宝は昭和11年11月18日に吉本せいの吉本興業と提携し、芸人の引き抜き防止協定と吉本芸人の映画出演協定が結んだ。
これに対して松竹は昭和12年に、日活・新興・大都と連携して東宝包囲網を強いて、系列の映画館から東宝を排除して、東宝を潰しにかかるなど、松竹と東宝の争いは各方面にわたって激しく対立していた。
このようななか、時節の影響で、映画の上映時間が3時間に制限されたり、映画の輸入が制限されたりしたため、映画館ではアトラクションの上演が重要になってきた。
しかし、松竹は芸能部門が貧弱でほぼゼロに等しい。しかも、しかも、東宝の小林一三は昭和14年(1939年)2月に林正之助を東京宝塚劇場(東宝)の取締役として迎え入れており、吉本興業と東宝は関係を強めた。
そこで、松竹は吉本興業から芸人を引き抜きにかかるのだが、吉本興業とは過去にトラブルがあり、松竹が吉本興業の芸人を引き抜くことは出来かった。
実は、松竹は以前、吉本興業から漫才師を引き抜こうとしたのだが、吉本興業の林正之助に抗議され、「二度と吉本の芸人は引き抜きません」という証文を差し出していたのだ。
このため、松竹は表だって動くことが出来ないので、昭和14年(1939年)3月に松竹系の「新興キネマ」に芸能部を作り、吉本興業の芸人を引き抜きにかかった。
この松竹系の「新興キネマ芸能部」が、朝ドラ「わろてんか」に登場する「新世紀芸能」のモデルである。
朝ドラ「わろてんか」の「ミスリリコ・アンドシロ-」は、移籍を断ったが、モデルとなった「ミスワカナ・玉松一郎」は「新興キネマ芸能部」に移籍している。
新興キネマ芸能部は吉本興業の10倍以上のギャラを提示したと言う点も大きいのだが、ミスワカナは吉本の芸人から生意気な小娘という扱いを受けていたことが気に要らなかったようだ。
また、吉本興業の横山エンタツが、「ミスワカナ・玉松一郎」が居なくなれば、トップに返り咲けると考え、「ミスワカナ・玉松一郎」に移籍をそそのかし、新興キネマ芸能部の引き抜きを利用して、「ミスワカナ・玉松一郎」を吉本興業から追い出したのである。
吉本興業の林正之助が気づいたときには、「香島ラッキー・御園セブン」「ミスワカナ・玉松一郎」「平和ラッパ・日佐丸」「松葉家奴・松葉家喜久奴」「あきれたほういず(川田晴久を除く)」が引き抜かれており、花菱アチャコも新興キネマ芸能部から大金を受け取っていることが判明した。
そこで、林正之助は花菱アチャコをホテルに監禁して説得を続けたのだが、花菱アチャコは林正之助が呆れるほどのドケチだったので、大金を手にした花菱アチャコは頑としてクビを縦に振らなかった。
そこで、吉本せいが花菱アチャコの父親を脅し、父親が花菱アチャコから通帳を取り上げて金を返させ、移籍を断らせ、花菱アチャコの流出は食い止めた。
吉本興業と新興キネマ芸能部の争いは法廷にまで及び、世間を騒がせたのだが、大阪府警と京都府警が大衆演芸に悪影響を及ぼすとして仲裁に乗り出した。
その結果、吉本興行と新興キネマ芸能部は調停に及び、吉本興行は芸人の移籍を認め、新興キネマ芸能部は吉本興業に育成料を支払うと内容で和解が成立し、2ヶ月にわたる抗争に終止符が打たれた。
さて、新興キネマ芸能部は、吉本興業で漫才の台本を書いていた秋田實(秋田実)も引き抜いており、新作に力を入れたが、芸人の層の厚さで吉本興業に適わず、純粋な興行勝負で吉本興業に迎撃されてしまった。
ミスワカナは吉本興業に戻りたいと言ったが、林正之助はミスワカナの復帰を認めなかった。
こうして吉本興業は、松竹系の新興キネマ芸能部を潰すことに成功したが、結局は戦争によって全て灰になってしまうのであった。
なお、「わろてんか」のモデルや実話は「わろてんか-登場人物の実在モデル」をご覧ください。
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