須賀廼家万太郎が死去!死因と実話の解説

NHKの朝ドラ「おちょやん」の須賀廼家万太郎(そがのや・まんたろう)が死去したので、モデルとなった曽我廼家五郎の死因と実話を解説します。

須賀廼家万太郎が死去

板尾創路が演じる喜劇王・須賀廼家万太郎は、咽頭癌を患っており、役者生命を絶たれてしまうが、鶴亀から最後に1度だけ舞台に立つことが許された。

そして、須賀廼家万太郎はライバルの須賀廼家千之助の助けを得て、最後の舞台を成功させて死去した。

では、須賀廼家万太郎のモデルとなる喜劇王・曽我廼家五郎の最期はどうだったのか。死因や実話を紹介しよう。

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曽我廼家五郎の実話

須賀廼家万太郎が咽頭癌で死んだように、モデルの曽我廼家五郎も咽頭癌だった。

曽我廼家五郎は曽我廼家十郎と一緒に、「曽我廼家兄弟劇」を旗揚げして、喜劇の創始者となって絶大な人気を得たのだが、曽我廼家五郎は曽我廼家十郎の芝居に対抗するため、誇張した動きをしたり、ダミ声を出すようになった。

曽我廼家五郎は、このダミ声で喉に負担をかけたため、咽頭癌になったと言われている。

さて、曽我廼家五郎は、曽我廼家十郎の死後、喜劇王として喜劇界の頂点に立っていたが、咽頭癌の手術のため、昭和23年3月に大阪大学病院に入院した。

朝ドラ「おちょやん」では、須賀廼家万太郎の最後の舞台で、ライバルの須賀廼家千之助が須賀廼家万太郎を助けるのだが、これも実話である。

「松竹家庭劇」の曽我廼家十吾は、「松竹家庭劇」を休止して「五郎劇」の助っ人に駆けつけ、曽我廼家五郎の抜けた「五郎劇」を支えた。

その後、曽我廼家五郎の手術自体は成功したのだが、手術の影響で声が出なくなってしまう。

それでも、曽我廼家五郎はパントマイムを行う「無言劇」で舞台に立つが、昭和23年9月の中座公演の後に再び倒れ、昭和23年(1948年)11月1日に死去した。71歳だった。

なお、須賀廼家万太郎のモデルとなった曽我廼家五郎の生涯については「曽我廼家五郎の立志伝」をご覧ください。

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