NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する北村隼也(成田凌)と加納つばき(水上京香)が結婚するモデルと実話の解説です。
北村笑店で働く北村隼也(成田凌)は、アメリカから「マーチン・ショウ」を呼ぶため、マーチン・ショウの代理人ジェイソン・ハミルと会った。
そのとき、代理人ジェイソン・ハミルは通訳として、加納つばき(水上京香)を連れていた。
加納つばき(水上京香)は、父親の仕事の関係で10年間を過ごした帰国子女で、「マーチン・ショウ」のファンだった。
北村隼也(成田凌)は加納つばき(水上京香)に一目惚れし、良いところを見せようと思い、死んだ父・北村藤吉(松坂桃李)の遺産にて手を付けて、ジェイソン・ハミルに手付金を払って、「マーチン・ショウ」と契約を交わした。
しかし、お金を渡した直後に、ジェイソン・ハミルは雲隠れして音信不通となってしまい、ジェイソン・ハミルが偽物だと分かり、詐欺騒動に発展する。
その後、伊能栞(高橋一生)が本物のジェイソン・ハミルと連絡を取り、北村笑店に「マーチン・ショウ」の共同開催を持ちかけたが、藤岡てん(葵わかな)はアメリカの「マーチン・ショウ」など分からず、判断に困ってしまう。
そこで、武井風太(濱田岳)は、自分たちにも「マーチン・ショウ」のことが分かるように、北村隼也(成田凌)に企画書の提出を命じた。
加納つばき(水上京香)は詐欺被害の責任を感じており、北村隼也(成田凌)の手伝いをして、2人は相思相愛に発展するのだった。
加納つばき(水上京香)は、父・加納清一郎が決めた許嫁が居り、許嫁と結婚させられそうになっていたが、許嫁との結婚を拒否して家出し、北村隼也(成田凌)の元に逃げ込んだ。
父・加納清一郎は中之島銀行の頭取で、中之島銀行が北村笑店と取引していたことから、取引を停止すると言って脅し、加納つばき(水上京香)の返還を要求した。
しかし、北村隼也(成田凌)は加納つばき(水上京香)と結婚することを選んだので、藤岡てん(葵わかな)は怒って北村隼也(成田凌)を勘当した。
こうして、北村隼也(成田凌)は、加納つばき(水上京香)を連れて北村家を出て駆け落ちして工場で働き、息子・北村藤一郎が生まれます。
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北村隼也(成田凌)のモデルは、吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)の次男・吉本穎右(吉本泰典)です。吉本穎右(吉本泰典)は次男ですが、長男が夭折しており、跡取り息子として生まれ、父・吉本泰三(吉本吉兵衛)の死により、家督を相続してします。
一方、加納つばき(水上京香)のモデルは、歌手の笠置シヅ子(亀井静子)です。笠置シズ子は吉本穎右よりも9歳上で、戦前は「ジャズの女王」と呼ばれ、ジャズ歌手として活躍していました。
さて、ドラマ「わろてんか」の加納つばき(水上京香)はジェイソン・ハミルの通訳をしており、北村隼也(成田凌)と出会うのですが、史実はドラマと大きく異なり、史実の2人は戦時中の昭和18年(1943年)6月28日に名古屋の御園座の楽屋で出会いました。
吉本穎右は、吉本興業の後継者としての期待を一身に背負い、慶應義塾大学に進んでおり、夏休みで和歌山県へ釣りに行く途中で名古屋に立ち寄っていた。
一方、笠置シズ子は敵国のジャズを歌っていたうえ、腰を振ってリズムを取りながら歌っていたので、敵性歌手に指定され、当局から徹底的にマークされており、戦地慰問には加われず、国内巡業や国内慰問を続けていた。
そして、笠置シズ子が名古屋の太陽館に出演していたとき、御園座で知り合いの辰巳柳太郎が公演していたので、辰巳柳太郎の楽屋に挨拶に行き、その楽屋で吉本穎右と出会った。
吉本穎右は辰巳柳太郎の楽屋を訪れたが、女性が大勢話していたので、出入り口のところで楽屋に入るのを戸惑っていた。
笠置シズ子は吉本穎右に気づいて、入るように促そうと思ったが、吉本穎右が眉目秀麗な青年(イケメン)だったので、笠置シズ子がヘドモドしているうちに、吉本穎右は楽屋に入るのを諦めて立ち去ってしまった。
これが、吉本穎右と笠置シズ子の出会いである。吉本穎右は21歳で、笠置シズ子が30歳のことだった。
翌日、笠置シズ子は宿泊している愛生旅館の廊下で吉本穎右を見かけるが、このときも話はしておらず、初めて言葉を交わすのは、その翌日のことである。
太陽館に出演している笠置シズ子が1回目の舞台を終えて楽屋で話をしていると、吉本興業の名古屋会計主任・一田治が吉本穎右を連れて楽屋にやってきて、「ボンはアンタのえらいファンだんね」と言い、笠置シズ子に吉本穎右を紹介した。
ここで初めて、笠置シズ子は吉本穎右が吉本興業の御曹司だと知るのである。
そして、話をしていると、吉本穎右は和歌山県の加太へ釣りに行くというので、笠置シズ子は明日の夜に名古屋を発って神戸へ向かうので、一緒に汽車に乗りませんかと誘った。
こうして、吉本穎右と笠置シズ子は同じ汽車に乗り、いろいろな話をしながら関西へと向かった。
このとき、吉本穎右は和歌山県へ行くのだが、神戸まで一緒に逝き、笠置シズ子を下ろしてから、引き返して和歌山へ向かった。
こうして、吉本穎右と笠置シズ子の交流が始まり、お互いの家を行き来するようになる。9歳も離れていると言うこともあって、最初は兄弟のような感じだったのだが、やがて交際に発展し、結婚を誓い合うのだった。
さて、朝ドラ「わろてんか」では、加納つばき(水上京香)は許嫁との結婚を拒否して北村隼也(成田凌)のと駆け落ちします。
実話でも、吉本せいが吉本穎右と笠置シズ子の結婚に反対するのですが、ドラマのストリーは実話と大きく異なります。
実話では、吉本穎右も笠置シズ子もお互いに空襲で自宅を失い、吉本興業の東京支配人・林弘高の招きにより、林弘高の隣の家に入って同棲を開始している。
同棲と言っても、2人きりではなく、林弘高は空襲で被災した関係者を収容していたので、数家族が一緒した。世間は厳しい時代だったが、2人にとっては最も幸せな時期だった。
しかし、終戦から間もなく、吉本穎右と笠置シズ子の交際が林弘高の知るところとなり、2人は同棲を解消し、吉本穎右も結婚に向けて慶應義塾大学をやめ、東京吉本に就職した。
しかし、吉本穎右は大阪の吉本興業から帰阪要請を受け、歌手活動をしていた笠置シズ子を東京に残して昭和21年の夏に大阪の吉本興業へと戻る。
この帰阪要請は、財産税を申告するにあたり、吉本興業の資産を吉本家と林家に区別して整理せねばならず、吉本家の戸主・吉本穎右に帰阪を要請したものだが、実質的には、吉本穎右と笠置シズ子の交際に反対する吉本せいが2人を引き離そうと考えたのだと思われる。
さて、笠置シズ子は、吉本穎右が大阪へ行った直後に、妊娠3ヶ月だと判明し、吉本穎右にも妊娠を知らせた。
朝ドラ「わろてんか」の北村隼也(成田凌)は、北村家を捨てて加納つばき(水上京香)と駆け落ちするのだが、モデルの吉本穎右は、生まれた子供を認知し、笠置シズ子との結婚については吉本関係者の理解を得てから結婚するという考えだった。
そして、通説では母・吉本せいは2人の結婚を最後まで反対していたとされているが、実際は笠置シズ子の妊娠を機に態度を軟化させおり、笠置シズ子の芸能界引退を条件に結婚を許していたと考えられる。
笠置シズ子は、吉本穎右と結婚するため、妊娠5ヶ月という大きなお腹で出演予定していた「カルメン」に出演したのを最後に芸能界を引退し、吉本穎右と暮らす自宅も用意した。
また、笠置シズ子の娘・亀井エイ子も「(父と母は)結婚はしたものの、せいさんを始めとする周囲の人たちには認められず、末入籍のままでした。しばらくして、私がお腹の中にいることがわかり、母は主婦に専念するということで、晴れて正式の夫婦として認めていただける、ということになりました」と証言している。
しかし、吉本穎右は結核が再発して、そのまま大阪で死去してしまい、吉本穎右の死を知らされた笠置シズ子は失意のどん底で娘・亀井エイ子を出産することになってしまう。
そして、吉本穎右が男の子が生まれたら「静男」、女の子が生まれたら「エイ子」と名付けるように遺言していたので、笠置シズ子は遺言を守って生まれてきた女児に「エイ子」と名付けた。
(注釈:男の子が生まれてきたら「穎造」と名付けよと遺言していたという説もある。)
そして、笠置シズ子は子供を育てていくため、娘・亀井エイ子の出産から、わずか3ヶ月後に、服部良一の「東京ブギウギ」で歌手に復帰し、乳飲み子を抱えてステージを飛び回り、「スイングの女王」としてスターダムをのし上がっていくのであった。
吉本せいは、早くに夫に先立たれ、子供を抱えながら吉本興業を切り盛りしてきたので、笠置シズ子の立場がよく分かり、笠置シズ子に亀井エイ子を引き取りたいと申し出た。
しかし、笠置シズ子は生まれた直後に養子に出され、実の親の顔を知らなかったことから、娘にも同じ思いをさせたくないと考え、吉本せいの申し出を断り、シングルマザーとして娘・亀井エイ子を育てたのである。
その後、笠置シズ子のモノマネで台頭したのだが、後に国民的スターとなる美空ひばりで、笠置シズ子は美空ひばりと対立することになります。
なお、笠置シズ子の生涯を詳しく知りたい方は、「笠置シヅ子の立志伝」をご覧ください。
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