朝ドラ「べっぴんさん」に登場する田中紀夫(たなか・のりお/永山絢斗)の実在のモデルを紹介します。
田中紀夫(たなか・のりお/永山絢斗)は、貴族院議員・田中五郎(堀内正美)の息子で、裕福な家庭に育った。
田中紀夫(永山絢斗)は、坂東すみれ(芳根京子)の幼馴染みで、後に坂東すみれ(芳根京子)と結婚して婿養子として坂東家に入り、坂東五十八(生瀬勝久)が創業した「坂東営業部」に就職する。
田中紀夫(永山絢斗)は、無口で何を考えているのか分からない性格だが、心の中では坂東すみれ(芳根京子)や家族の事を大切に思う好青年である。
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坂野通夫(ばんの・みちお)は、尾張藩士・坂野兼通の末息子(7男2女)として、大正5年(1916年)9月30日に兵庫県芦屋市で生まれた。
父・坂野兼通は、大阪・山口財閥の山口銀行で大番頭として活躍した銀行家である。
坂野通夫は、甲南高校1年生の冬に、甲南女学校4年生の坂野惇子(佐々木惇子)と出会い、交際に発展。京都帝国大学を卒業して、大阪商船(商船三井)に就職し、佐々木惇子(坂野惇子)と結婚した。
結婚後は神戸の外国人村に居を構えて幸せな生活を送り、長女・坂野光子を儲けたが、戦況の悪化から、坂野通夫は海軍に召集され、ジャカルタへ派遣された。
坂野通夫は戦後、帰国すると、大阪商船(商船三井)を退職して、義父・佐々木八十八が創業した「佐々木営業部(レナウン)」に就職し、佐々木営業部の社長・尾上清からレナウン商法を学んだ。
また、妻・坂野惇子が田村江つ子(田村枝津子)・田村光子・村井ミヨ子(中井ミヨ子)を誘って子供服店「ベビーショップ・モトヤ」を創業することになると、坂野通夫は妻が仕事を大いに賛成し、妻・坂野惇子が創業したベビーショップ・モトヤに協力した。
さらに、坂野通夫は、ベビーショップ・モトヤを「株式会社ファミリア」へ発展させるように勧めたほか、数々の助言をして、妻・坂野惇子を支えた。
株式会社ファミリアは設立初期に役員の移転や不正経理の発覚など混乱を迎え、ファミリアの初代社長を務めてくれた元田蓮が辞意を漏らすと、坂野通夫は田村寛次郎らから、社長就任を要請され、取締役としてファミリアへ入社した。
そして、坂野通夫は、ファミリアにレナウン商法を導入し、在庫の管理などを徹底的にさせ、ファミリアの改革を行い、ファミリアが会社としての体裁を整えるとファミリアの社長に就任した。
また、坂野通夫は早くから輸入品に着目しており、明治屋を通じて離乳食やベビーフードを輸入しており、消費財の外貨割当が解禁されると、外貨割当を取得して直輸入することに成功した。
ファミリアが皇室御用達ブランドになれたのも、坂野通夫の力が大きい。
さらに、スヌーピーの権利を取得し、スヌーピーの縫いぐるみなどの販売を開始したほか、生産の近代化を図り、ファミリアの良さを残しつつ量産化することにも成功し、ファミリアを拡大させていった。
昭和60年(1985年)、坂野通夫はファミリア設立35周年を機に、社長を娘婿の岡崎晴彦に譲って代表取締役会長へと退いた。平成4年(1992年)6月2日に死去した。享年77。
なお、朝ドラ「べっぴんさん」の登場人物の実在のモデル一覧は「べっぴんさん-登場人物・キャスト・モデルまとめ」をご覧ください。
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