べっぴんさん-田坂君枝(土村芳)の病気と実話

NHKの朝ドラ「べっぴんさん」に登場するキアリス創業メンバー田坂君枝(土村芳)の病気の実話です。

田坂君枝(土村芳)の病気

朝ドラ「べっぴんさん」に登場する田坂君枝(土村芳)は、生まれつき体が弱く、病気がちだった。

戦後、田坂君枝(土村芳)は、坂東すみれ(芳根京子)から手芸店の創業に誘われるが、商売など考えたこともなかったので戸惑ってしまう。

その後、1人で手芸店を開いていた板東すみれ(芳根京子)は、外国人エイミーから娘のドレスの注文を受け、田坂君枝(土村芳)と多田良子(百田夏菜子)に協力を要請する。

板東すみれ(芳根京子)は亡き母・坂東はな(菅野美穂)の形見のウエディングドレスを使って注文のドレスを作ると言い、その固い決意を知った田坂君枝(土村芳)と多田良子(百田夏菜子)は「1度だけ」という条件でドレス作りに協力する。

こうして完成したドレスを外国人エイミーに届けると、外国人エイミーは完成したドレスを見て大喜びした。

田坂君枝(土村芳)は、「1度だけ」という条件で協力していたが、外国人エイミーが喜ぶ顔を見て、べっぴんさん(特別な品)を作る事の大切さや、もらった人が喜ぶ顔が忘れられず、板東すみれ(芳根京子)に「一緒に働きたい」と頼んだ。

こうして、板東すみれ(芳根京子)・田坂君枝(土村芳)・多田良子(百田夏菜子)に看護婦・小野明美(谷村美月)を加えた4人で、「ベビーショック・あさや」を創業することになった。

4人で創業した「ベビーショック・あさや」は、そこそこ商品が売れており、板東すみれ(芳根京子)らは毎日、商品作りに励んでいた。

そのようななか、体の弱い田坂君枝(土村芳)は頑張りすぎて、倒れてしまい、入院してしまった。

このため、夫・村田昭一(平岡祐太)は、田坂君枝(土村芳)が仕事に復帰するのを禁じた。

その後、田坂君枝(土村芳)が少し体調が回復したので、「ベビーショック・あさや」に顔を出したとき、田坂君枝(土村芳)の顔が非常に明るかった。

このため、夫・村田昭一(平岡祐太)は、田坂君枝(土村芳)には「生きがい」が必要なのだと築き、週に数回、1日4時間以内という条件で、田坂君枝(土村芳)に働くことを許したのであった。

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田坂君枝(土村芳)の病気の実話

朝ドラ「べっぴんさん」に登場する田坂君枝(土村芳)のモデルは、ファミリアの創業メンバーで最年少の村井ミヨ子(中井ミヨ子)です。

村井ミヨ子(中井ミヨ子)は生まれてきたとき、首にへその緒が巻き付いた状態で、仮死状態で生まれました。さらに、未熟児で生まれたため、医者が「ちゃんと生きるかな」と首をかしげるような有様でした。

このため、村井ミヨ子(中井ミヨ子)は体が弱く、小学校へ入っても、肺炎などを繰り返していたので、学校の先生よりもお医者さんと親しくなるような状態でした。

そして、戦後、村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、病気がちな生活を何とかしなければならないと思っていたとき、坂野惇子から「ベビーショップ・モトヤ」(後のファミリア)へ誘われたのです。

村井ミヨ子(中井ミヨ子)が家族に「ベビーショップ・モトヤ」に参加したいと相談すると、父・中井栄三郎も夫・村井完一も「ご迷惑を掛けない程度なら」と応援してくれた。

ところが、その事を主治医に話すと、主治医が「自殺行為だ」と言ったので、賛成していた夫・村井完一が一転して、「ベビーショップ・モトヤ」への参加を反対してしまいます。

しかし、村井ミヨ子(中井ミヨ子)の父・中井栄三郎が「無理をしないで、ご迷惑を掛けない程度なら仕事をもった方がいい。今後の世の中は女性も家の中に閉じこもるべきではない」と言って夫・村井完一を説得してくれたので、村井ミヨ子(中井ミヨ子)は「ベビーショップ・モトヤ」に参加する事が出来ました。

ただし、村井ミヨ子(中井ミヨ子)は体が弱かったため、勤務は週に3回、勤務時間は午前10時から午後4時までという条件で、アルバイト的に働くことになりました。

そして、夕方5時になると、夫・村井完一が迎えに来て、「ミヨ子はもう寝る時間なので」と言って村井ミヨ子(中井ミヨ子)を連れて帰るという有様でした。

さて、「ベビーショップ・モトヤ」は創業時から繁盛しており、多忙な日々を送るなか、入学シーズンを迎えたので、お弁当箱を袋に入れてセット販売するというアイデアがでました。

そこで、夫・村井完一にアルミ工場を紹介してもらい、村井ミヨ子(中井ミヨ子)と不破孝子が弁当箱を仕入れに行き、2人は背丈ほどもある弁当箱を引きずるようにして持って帰ってきた。

その日の夜、村井ミヨ子(中井ミヨ子)が高熱を出してしまい、みんなが大慌てするという騒動がありました。

村井ミヨ子(中井ミヨ子)は1ヶ月に1度は高熱を出して寝込んでいたのですが、「ベビーショップ・モトヤ」で働くようになってからは、少しずつ高熱が出る間隔が長くなっていきました。

そして、坂野惇子が子供服ブランド「ファミリア」を設立するころになると、村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、ほとんど熱が出なくなったので、引き続き「ファミリア」にも参加しました。

やがて、村井ミヨ子(中井ミヨ子)はファミリアの手編部門の責任者となったのですが、頑張りすぎたのか、2ヶ月間、入院しました。

その後、大きな病気があったかは不明ですが、村井ミヨ子(中井ミヨ子)は元気にファミリアで働き、海外にも出かけています。

晩年、村井ミヨ子(中井ミヨ子)が坂野惇子に「ファミリアで働いていなかったら、どうなってたからしら」と尋ねると、坂野惇子は「半分病院生活よ」と答えました。

それを聞いた村井ミヨ子(中井ミヨ子)は、ファミリアから健康を得たことに気づき、ファミリアで働けたことに感謝したのでした。

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