わろてんか-映画「キースのあきれた恋道中」のモデルと実話

朝ドラ「わろんてんか」に登場する映画「キースのあきれた恋道中」のモデルと実話の紹介です。

映画「キースのあきれた恋道中」

皇軍慰問団「わろてんか隊」を成功させた武井風太(濱田岳)は、全国的に漫才師を売り出すためには映画出演が大事だと考え、伊能栞(高橋一生)に協力を要請して、映画に進出する。

(注釈:皇軍慰問団「わろてんか隊」の実話については「演芸慰問団わろてんか隊のモデルは「わらわし隊」」をご覧ください。)

そして、伊能栞(高橋一生)の「伊能フィルム」の制作で、キース(大野拓朗)を主役とした映画「キースのあきれた恋道中」を撮影した。

しかし、映画「キースのあきれた恋道中」は内務省の検閲にひっかかり、ダメ出しされてしまう。接吻するシーンこそ映っていなかったが、接吻を連想させるシーンが検閲にひっかかり、数シーンをカットすれば、検閲に通ると言われた。

しかし、伊能栞(高橋一生)は、問題のシーンをカットすれば全く違う作品になってしまうと言い、自分の主義を貫いてカットを拒否し、映画「キースのあきれた恋道中」を上映中止とした。

ところが、映画「キースのあきれた恋道中」には既に多額の資金が投じられており、上映中止によって会社に損失を与えたため、伊能栞(高橋一生)は重役から責任を追及され、「伊能フィルム」の社長から失脚するのだった。

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映画「キースのあきれた恋道中」のモデルと実話

朝ドラ「わろてんか」に登場する映画「キースのあきれた恋道中」のモデルは、エンタツ・アチャコの主演映画「あきれた連中」である。

このモデルを解説するためには、少し時間を遡り、吉本興業が映画に進出する経緯から解説する必要がある。

まず、吉本興業の林正之助は昭和7年に、東京吉本の舞台に関係していた橋本鉄彦を大阪の吉本興業に招き入れて参謀とした。橋本鉄彦は吉本興業を近代化させた人である。

たとえば、朝ドラ「わろてんか」の武井風太(濱田岳)が裾を絞った変なズボンを履いているのも、橋本鉄彦の実話が元になっている。

武井風太(濱田岳)が履いてるのは「ニッカーボッカーズ(ニッカポッカ)」と言ってゴルフをするときに着る服である。

橋本鉄彦が吉本興業に入ったとき、従業員や林正之助は和服だったので、橋本鉄彦が林正之助がゴルフをしている写真を見て、「貴方はゴルフの服装の写真があるじゃないか。あの服装をしたら行動するのに楽でしょう」と言い、林正之助に洋服を着るように勧めた。

このため、武井風太(濱田岳)はゴルフの時に着る「ニッカーボッカーズ(ニッカポッカ)」を履いているのである。

さて、話を戻すと、橋本鉄彦は吉本興業に入社し、文芸部・映画部・宣伝部の三部門を立ち上げ、三部門を統括する責任者となった。こうして、吉本興業に映画部門が設立された。

そして、大阪では漫才が人気の1位だったが、全国的には浪花節(浪曲)が人気の1位だったので、林正之助は浪花節に目を付け映画に進出し、日活と提携して映画「佐渡情話」(昭和9年10月上映)を作った。これが吉本興業初の映画である。

そして、この映画「佐渡情話」がヒットしたので、吉本興業は映画「紺屋高尾」「孝子五郎正宗」「新佐渡情話」などを作り、これもヒットさせた。

一方、「キース・アサリ」のモデル「エンタツ・アチャコ」は、野球ネタ「早慶戦」で人気絶頂にあったが、昭和9年(1934年)9月に花菱アチャコが中耳炎で入院している間にコンビを解散し、別々のコンビとして活動していた。

しかし、各方面から「エンタツ・アチャコ」の復活を望む声が出ていたので、林正之助は舞台では別々のコンビで活動させたまま、映画で「エンタツ・アチャコ」を復活されることにして、映画制作会社PLC(東宝の前身)と提携して映画「あきれた連中」(昭和11年1月上映)を制作した。漫才師が映画に出るのは、これが日本初である。

朝ドラ「わろてんか」の映画「キースのあきれた恋道中」の検閲によって上映中止となっているが、史実の映画「あきれた連中」は大ヒットし、続編が作られ、舞台にもなっている。映画を舞台にするというのも吉本が初めて手がけた。

さらに、エンタツ・アチャコは映画「これは失礼」「心臓が強い」などに主演してヒットを飛ばすのである。

一方、伊能栞(高橋一生)のモデル小林一三は、東京に進出して「株式会社・東京宝塚劇場」を設立していた。

そして、映画界に進出した東京宝塚劇場の小林一三は、洋画配給会社「松竹洋画興行社」との対立を切っ掛けに、配給映画だけでは間に合わなくなり、映画制作会社「PLC」と「JOスタジオ」と共同出資で、昭和11年に「東宝映画配給株式会社」を設立し、映画の自主配給網を構築していった。

さらに、東京宝塚劇場の小林一三は、昭和11年11月18日に吉本興業と提携し、芸人の引き抜き禁止や、吉本芸人を東京宝塚劇場の映画に出演させる取り決めが交わしたのである。

こうした小林一三の台頭を脅威に感じた松竹は、日活・新興・大都と組んで、系列の映画館から東宝系の映画を排除した。さらに、極東・全勝の2社が反東宝連合に加わり、東宝包囲網も形成し、東宝を倒産寸前まで追い詰めていった。

このようななか、小林一三は突如として東京宝塚劇場の社長を辞任するが、懇願されて相談役として残り、東宝包囲網に対抗するため「東宝映画配給」「PLC」「JOスタジオ」を合併し、昭和12年に東宝映画株式会社を設立したのである。

さて、朝ドラ「わろてんか」では、伊能栞(高橋一生)が映画「キースのあきれた恋道中」の上映中止の責任を追求され、「伊能フィルム」の社長を辞任するのですが、史実では小林一三は東京宝塚劇の社長を辞任して相談役に就任している。

なお、朝ドラ「わろてんか」の各エピソードの実話については「「わろてんか」のモデル・吉本せいの立志伝」をご覧ください。

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