わろてんか-北村隼也の実在のモデル

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する長男・北村隼也(きたむら・しゅんや)の実在のモデルの紹介です。

わろてんか-北村隼也のあらすじ

北村隼也(成田凌)は、藤岡てん(葵わかな)北村藤吉(松坂桃李)の1人息子として生まれた。

北村隼也(成田凌)は、大学まで進学したが、アメリカのエンターテイメントを学ぶため、大学を中退し、祖母の北村啄子(鈴木京香)を頼ってアメリカへと渡り、2年後に帰国する。

帰国後、北村隼也(成田凌)は北村笑店に入り、武井風太(濱田岳)も元で修行を開始する。

そのようななか、北村隼也(成田凌)は北村笑店25周年の企画として、アメリカのレビュー団「マーチン・ショウ」を呼ぶことを提案するが、藤岡てん(葵わかな)も武井風太(濱田岳)も相手にしなかった。

アメリカの事情に詳しい伊能栞(高橋一生)が興味を示したので、北村隼也(成田凌)は武井風太(濱田岳)を時代遅れの老害だと批判し、伊能栞(高橋一生)の元で働きたいと言い出した。

藤岡てん(葵わかな)は駄目だと言ったが、武井風太(濱田岳)は伊能栞(高橋一生)なら信用できると言い、伊能栞(高橋一生)に北村隼也(成田凌)を預けた。

そのようななか、北村隼也(成田凌)はレビュー団「マーチン・ショウ」の代理人ジェイソン・ハミルから連絡を受ける。日本でレビュー団「マーチン・ショウ」を開催したいというのだ。

北村隼也(成田凌)は伊能栞(高橋一生)に企画書を提出するが、伊能栞(高橋一生)は忙しくて反応は無かった。

そこで、北村隼也(成田凌)は、伊能栞(高橋一生)が出張している隙を狙い、独断でジェイソン・ハミルと会ったのである。

ジェイソン・ハミルは通訳として加納つばき(水上京香)を連れてきており、北村隼也(成田凌)は加納つばき(水上京香)に一目惚れしてしまう。

加納つばき(水上京香)が「マーチン・ショウ」の大ファンだったので、北村隼也(成田凌)は加納つばき(水上京香)に良いところを見せようと、ジェイソン・ハミルと契約を交わすことを決めた。

ジェイソン・ハミルが早くしないと他と契約すると言うので、藤岡てん(葵わかな)に手付金を貸して欲しいと頼んだが、藤岡てん(葵わかな)は貸してくれなかった。

そこで、北村隼也(成田凌)は、北村藤吉(松坂桃李)が残してくれた遺産で手付金を払って契約を交わしたのだった。

しかし、金を受け取ったジェイソン・ハミルが姿をくらまして音信不通となり、詐欺だったことが判明する。

父・北村藤吉(松坂桃李)も使えないパーマの機械を大量の購入して騙されていたので、キース(大野拓朗)らは北村隼也(成田凌)のアホは父親からの遺伝だと言って笑った。

その後、伊能栞(高橋一生)が本物のジェイソン・ハミルと連絡をとり、藤岡てん(葵わかな)に「マーチン・ショウ」の共同開催を持ちかけるが、藤岡てん(葵わかな)はアメリカことは知らないので、困って答えを保留した。

そこで、武井風太(濱田岳)が北村隼也(成田凌)に企画書の提出を命じる。

加納つばき(水上京香)は詐欺に遭った原因は自分にもあると責任を感じており、北村隼也(成田凌)の企画書を手伝い、2人は企画書を完成させた。

2人はお互いにひかれていたが、加納つばき(水上京香)は北村隼也(成田凌)に「もう会えない」と別れを切り出した。加納つばき(水上京香)には親が決めた許嫁が居り、許嫁と結婚するというのだ。

北村隼也(成田凌)は失恋に落ち込む一方で、企画書を読んだ藤岡てん(葵わかな)は、伊能栞(高橋一生)の提案を受け入れ、東京で「マーチン・ショウ」を開催して、連日の満員大入りで大成功を収めるのだった。

その後、加納つばき(水上京香)は北村隼也(成田凌)の本心を知り、許嫁との結婚を拒否して家出し、北村隼也(成田凌)の元へやってきた。

ところが、加納つばき(水上京香)の父・加納清一郎は中之島銀行の社長で、中之島銀行は北村笑店の取引銀行だった。

怒った父・加納清一郎は北村笑店に取引解消を突きつけたが、北村隼也(成田凌)は加納つばき(水上京香)と生きていくことを選んだので、藤岡てん(葵わかな)は北村隼也(成田凌)を勘当した。

こうして、北村隼也(成田凌)は加納つばき(水上京香)を連れて北村家と縁を切り、工場で働きながら暮らすが、北村笑店に匿名の手紙を送り近況を報告しており、北村藤一郎という子供も生まれた。

戦時中に招集令状が届き、母・藤岡てん(葵わかな)と再会し、北村笑店の人々に送り出されて戦地へ向かう。

そして、戦後、無事に復員すると、北村笑店で働くのだった。

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北村隼也(成田凌)の実在のモデル

NHKの朝ドラ「わろてんか」に登場する北村隼也(成田凌)の実在のモデルは、吉本穎右(吉本泰典)です。

吉本穎右(吉本泰典)は、吉本せい(林せい)吉本泰三(吉本吉兵衛)の次男として生まれた。既に長男は夭折していたので、吉本穎右(吉本泰典)は次男だが跡取り息子だった。

吉本穎右(吉本泰典)が生まれた直後に父・吉本泰三(吉本吉兵衛)が死んだので、吉本穎右(吉本泰典)が家督を相続して、吉本せい(林せい)は親権を行使する形で吉本興業を経営した。

NHKの朝ドラ「わろてんか」で登場する「マーチン・ショウ」のモデルは、吉本興業が開催した吉本興業が昭和9年(1934年)3月に東京・有楽町の日本劇場(日劇)で開催した「マーカス・ショー」です。

このとき、吉本穎右(吉本泰典)は11歳なので、おそらく北野中学校に通っていた頃だと思われます。史実で「マーカス・ショー」を招聘したのは、吉本興業の東京支社長・林弘高でした。

さて、実話の吉本穎右(吉本泰典)は吉本興業の後継者として期待を一身に背負い、北野中学から早稲田大学へと進学した。

そして、夏休みで大阪の実家に帰る途中で、名古屋の寄席に立ち寄っており、戦時中の昭和18年(1943年)6月28日に名古屋の御園座で、9歳上のジャズ歌手・笠置シヅ子(亀井静子)と出会う。

笠置シヅ子(亀井静子)は、ジャズ歌手として活躍していたのだが、戦争の影響で敵性歌手に指定されたため、戦地慰問団には加われず、国内で工場慰問などを続けていた。

さて、笠置シヅ子(亀井静子)も神戸に行くというので、大阪に帰る吉本穎右(吉本泰典)は一緒に汽車らないかと誘い、翌日、2人は同じ汽車に乗り、その後、家を行き来するような関係になった。

このとき、吉本穎右(吉本泰典)が21歳で、笠置シヅ子(亀井静子)は30歳と年齢が離れていたので、当初は兄弟のような関係だったのだが、その後、交際に発展し、結婚を誓い合った。

その後、2人とも東京大空襲で家を失い、焼け出される。

このとき、吉本穎右(吉本泰典)の叔父である吉本興業の東京支社長・林弘高が自宅の隣にあるフランス人宅に焼け出された関係者を収容しており、吉本穎右(吉本泰典)と笠置シヅ子(亀井静子)もフランス人宅へ入り、初めての同棲生活を送り、つかの間の幸せを楽しんだ。

しかし、2人の関係が林弘高の知るところとなり、戦後、早々に同居を解消しすると、吉本穎右(吉本泰典)は結婚するために、早稲田大学を中退して、吉本興業の東京支社(東京吉本)に就職した。

その後、財産税を申告するために資産を整理することになるのだが、吉本興業は林家と吉本家の関係が複雑に入り組んでいた。

そこで、大阪の吉本興業は東京に居る吉本穎右(吉本泰典)に大阪に戻って来て欲しいと要請し、吉本穎右(吉本泰典)が大阪に戻る。その直後に笠置シヅ子(亀井静子)は妊娠が判明する。

知らせを受けて妊娠を知った吉本穎右(吉本泰典)は、財産税の問題が片づいたら、結婚を切り出し、子供を認知することにして、笠置シヅ子(亀井静子)との結婚は急がずに吉本家のみんなが認めてくれるのを待つことを決め、安心して子供を産むように伝えた。

通説では母・吉本せい(林せい)は最後まで2人の結婚を反対していたと言われるが、実際は笠置シヅ子が妊娠したのを機に態度を軟化させ、話し合いは良い方向に向かっていたと言われてる。

笠置シヅ子の娘・亀井エイ子も「結婚はしたものの、せいさんを始めとする周囲の人たちには認められず、末入籍のままでした。しばらくして、私がお腹の中にいることがわかり、母は主婦に専念するということで、晴れて正式の夫婦として認めていただける、ということになりました」と証言している。

しかし、吉本穎右(吉本泰典)は大阪で結核が悪化し、いよいよ駄目ということになると、林正之助は最後に笠置シヅ子(亀井静子)に会わせようとしたが、笠置シヅ子(亀井静子)は既に出産のために入院していたので、吉本穎右(吉本泰典)が身重の笠置シヅ子(亀井静子)を気遣って断った。

そして、吉本穎右(吉本泰典)は、「男は女親に似れば幸せになり、女は男親に似れば幸せになる」という言い伝えから、生まれてくるのこが男の子なら「静男」、女の子なら「エイ子」と名付けるように言い残し、昭和22年(1947年)5月19日に死去した。

(注釈:男の子なら「穎造」と名付けるように遺言したという説もある。)

それから2週間後の昭和22年6月1日に笠置シヅ子(亀井静子)は、悲しみの中で女児を出産し、吉本穎右(吉本泰典)の遺言を守って、生まれてきた子に「亀井エイ子」と名付けた。

吉本せいは亀井エイ子を引き取りたいと申し出たが、笠置シヅ子(亀井静子)は自分自身が生まれてまもなく養子に出され、本当の両親の顔を知らずに育ったことから、同じ思いをさせたくないと言い、吉本せいの申し出を断り、亀井エイ子を自分の手で育てることにした。

そして、笠置シヅ子(亀井静子)は亀井エイ子を抱きかかえながら歌手として復帰し、「東京ブギウギ」で「ブギの女王」となり、スターダムへとのし上がっていくのであった。

なお、笠置シヅ子の生涯については「笠置シヅ子の立志伝」をご覧ください。

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