NHKの朝ドラ「わろてんか」のモデルとなる吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)の生涯を描く立志伝の第4話です。
第4話より前の回は目次「「わろてんか」の実話「吉本せいの生涯」」から選んでください。
吉本せい(林せい)は、吉本家からの縁談で見合いし、明治40年(1907年)に吉本吉次郎(吉本泰三)と結婚して吉本家の荒物問屋「箸吉」に入った。
ただし、この時点では入籍はしておらず、籍を入れるのは3年後の明治43年のことである。
さて、夫・吉本吉次郎(吉本泰三)の実母は死去しており、吉本ユキ(出口ユキ)が後妻として荒物問屋「箸吉」に入っていた。この吉本ユキ(出口ユキ)が姑になる。
姑・吉本ユキ(出口ユキ)は口うるさい人だったようで、荒物問屋「箸吉」に入った吉本せい(林せい)は姑・吉本ユキ(出口ユキ)からイジメを受けるようになる。大阪名物「嫁いびり」である。
吉本せい(林せい)が結婚三日目の里帰りから戻ってくると、大タライに「厚子」という分厚い生地の作業着を山盛りにしており、姑・吉本ユキ(出口ユキ)は吉本せい(林せい)に洗濯を命じたのである。
吉本せい(林せい)は、たった1人で洗濯をやりとげたが、洗濯が終わった時には手がすり切れており、たらいの水が血に染まったという。
さて、吉本せい(林せい)は、10人分の食事の準備を任されたのだが、吉本家は米の半分は南京豆を混ぜるという始末屋(ケチ)で、実家の吉本家との違いに困惑したうえ、姑・吉本ユキ(出口ユキ)の厳しい嫌味が突き刺さる。
ある日、吉本せい(林せい)は、姑・吉本ユキからコンニャクを3銭分買ってくるように言われたので、1丁5厘のコンニャクを6丁購入し、ダシじゃこを入れて煮染めにして出した。
すると、姑・吉本ユキは「このコンニャクの炊き方はなんやね。正月の煮染めやないで。コンニャクを惣菜に買うたのはおつけにするためやで。おつけやったら、汁でお腹が一杯になるさかい、ご飯の足しになりますんや。こないな所帯持ちの悪い嫁に来られては、わてら乞食せなならん」と嫌みを言った。
これは、吉本せい(林せい)にすれば酷いイジメだが、全てが単なる「嫁いびり」とはいえず、荒物問屋「箸吉」には始末(ドケチ)にしなけばならない理由があった。
荒物問屋「箸吉」は、日露戦争に伴う好景気の波に乗って輸出にも手を出して莫大な利益を挙げていたが、吉本せい(林せい)が結婚した頃には、日露戦争後の不景気の影響で経営が悪化していた。
さらに、跡取り息子の吉本吉次郎(吉本泰三)が、継母・吉本ユキ(出口ユキ)との不和から、家業を放り出して芸人遊びに走っており、金を湯水の如く使っていた。
荒物問屋「箸吉」は繁盛している老舗と言われていたが、内情が火の車で、吉本せい(林せい)の荒物問屋「箸吉」での最初の仕事は、借金取りへの対応だったという。
さて、父・吉本吉兵衛は結婚して身を固めれば、吉本吉次郎(吉本泰三)も芸人遊びを辞めて仕事に励んでくれると期待していたが、全くの期待外れだった。
吉本吉次郎(吉本泰三)は、仕事を放り出して、剣舞道場で知り合った印刷屋の職人の通称「サンパツ」や贔屓の芸人を引き連れ、毎晩のように、行きつけの料理屋の2階でドンチャン騒ぎをしては、サンパツに詩吟をやらせ、自らは趣味の剣舞を披露する有様だった。
吉本吉次郎(吉本泰三)は、下戸で酒は飲めなかったが、酔った振りは名人級だったというので、剣舞の方もそれなりの腕前だったのかも知れない。
吉本吉次郎(吉本泰三)は、取り巻きの芸人から「玄人はだし(玄人も裸足で逃げ出す)」と煽てられ、ある興行主にそそのかされて、「女賊島津お政本人出演のざんげ芝居」なる怪しげな一座の太夫元(興行主)となり、旅巡業に出るようになった。
そして、夫・吉本吉次郎(吉本泰三)は、幕の合間に舞台に上がり、趣味の剣舞を披露するという有様で、旅巡業に出る度に借金を膨らませていた。
また、吉本せい(林せい)の証言が正しければ、夫・吉本吉次郎(吉本泰三)は寄席の経営にも手を出していたようである。
このようななか、明治43年(1910年)4月8日に吉本せい(林せい)と夫・吉本吉次郎(吉本泰三)は入籍して正式に結婚する。これは、吉本せい(林せい)が第1子を妊娠したため、入籍したのだと思われる。
その一方で、荒物問屋「箸吉」は、大阪市電鉄の道路拡張工事に引っかかり、明治43年に立ち退きを命じられたため、大阪城付近の大手前に移転する。
しかし、荒物問屋「箸吉」は、日露戦争後の不景気の影響で経営が傾いていたうえ、吉本泰三は旅巡業に出る度に借金を膨らませていたので、2度の差し押さえを食らってしまう。
このため、荒物問屋「箸吉」の当主である父・吉本吉兵衛は、毎日のように「このままでは箸吉が潰れてしまう」と嘆いていた。
そこで、父・吉本吉兵衛は、最後の賭に出た。
父・吉本吉兵衛は明治44年に「吉本吉左衛門」を名乗って隠居し、吉本吉次郎(吉本泰三)に「5代目・吉兵衛」を襲名させたのである。
しかし、父・吉本吉兵衛は最後の賭に負けた。
吉本吉次郎(吉本泰三)は「5代目・吉兵衛」を襲名しても、商売に身を入れるところか、「こんな腐りかかった店は売ってこまして、寄席を始める」と言い出す始末だった。
商才を買われて老舗の荒物問屋「箸吉」の「ごりょんさん」として嫁に来ている吉本せい(林せい)は、「箸吉」を立て直そうとして、夫・吉次郎(吉本泰三)と毎晩のように夫婦喧嘩を続けたという。
ところで、後妻・吉本ユキ(出口ユキ)には、光三郎という子供が居たが、父・吉本吉兵衛は、光三郎を親戚筋に当たる日本橋の「出来呉服店」へ養子に出していた。
そこで、最後の賭けに負けた父・吉本吉兵衛は、吉本吉次郎(吉本泰三)を放蕩息子だと毛嫌いし、養子に出した後妻・出口ユキの連れ子・光三郎を頼り、黒門町へと逃げた。
吉本せい(林せい)は、義父の吉本吉兵衛も黒門町へと待避し、夫・吉本吉次郎(吉本泰三)も旅巡業に出るなか、荒物問屋「箸吉」を立て直すために孤軍奮闘する。
しかし、いくら、商才があるといえども、吉本せい(林せい)は悲しいかな女性である。現代なら何とかなるかも知れないが、男尊女卑の明治時代末期では、いくら才覚があっても、どうにもならぬ。
女手1つでは、当主不在の荒物問屋「箸吉」を立て直すことはできず、吉本せい(林せい)は夫・吉本吉次郎(吉本泰三)が1年半の地方巡業に出ている間に、老舗の荒物問屋「箸吉」を廃業して、実家の林家に戻り、夫・吉本泰三の帰りを待つのであった。
第5話「吉本せいの生涯-第二文芸館の購入と吉本興業の創業」へ続く。
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