べっぴんさん-坂東はな(菅野美穂)が死去する実話

NHKの朝ドラ「べっぴんさん」に登場する坂東はな(菅野美穂)が死去する実話です。

べっぴんさん-坂東はな(菅野美穂)が死去

坂東はな(菅野美穂)は、朝ドラ「べっぴんさん」の主人公・坂東すみれ(芳根京子)の母です。

夫・坂東五十八(生瀬勝久)が大阪で繊維問屋「坂東営業部」を創業したとき、坂東はな(菅野美穂)は体が弱いにもかかわらず、近江から布を送って坂東五十八(生瀬勝久)を支えており、相当無理をしたようです。

この時の無理がたたったのか、体の弱い坂東はな(菅野美穂)は、朝ドラ「べっぴんさん」第1話の時点で既に病院に入院しています。

坂東はな(菅野美穂)は刺繍が得意で、坂東すみれ(芳根京子)に四つ葉の黒バーの刺繍を施したハンカチをプレゼンしたり、「四つ葉のクローバーの花には、それぞれに『勇気』『愛情』『信頼』『希望』という意味があり、4つ揃うと願い叶う」などと教えたりします。

こうして、坂東はな(菅野美穂)は、坂東すみれ(芳根京子)が手芸の道へ進むことに大きな影響を与えていきます。

しかし、坂東はな(菅野美穂)は朝ドラ「べっぴんさん」の第1週で医師から余命宣告を受けて一時帰宅し、長女・坂東ゆり(蓮佛美沙子)と次女・坂東すみれ(芳根京子)のことを坂東五十八(生瀬勝久)に託して死んでしまいます。

時代は昭和9年で、坂東すみれ(芳根京子)が9歳の時に出来事です。

翌朝、次女・坂東すみれ(芳根京子)が目覚めると、坂東はな(菅野美穂)が刺繍を施したタペストリーが壁に掛けられていました。

それを見た坂東すみれ(芳根京子)は、もらった人が幸せになるような「べっぴんさん(特別な品)」を作ろうと決意したのです。

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坂東はな(菅野美穂)が死去する実話

朝ドラ「べっぴんさん」の坂東はな(菅野美穂)は、昭和9年、坂東すみれ(芳根京子)が9歳の時に死んでしまいます。

しかし、坂東はな(菅野美穂)のモデルとなった佐々木倆子(雲川倆子/りょうこ)は、明治16年(1883年)1月生まれで、昭和32年(1957年)に夫・佐々木八十八が死去した後も元気に暮らし、佐々木八十八の死から11年後の昭和43年(1968年)に死去しました。享年86でした。

佐々木倆子(雲川倆子)は、晩年に心臓を患っていたのですが、生前の望み通り、長患いをすることもなく、賛美歌を聴きながら安らかに死去し、天寿を全うしました。

坂東はな(菅野美穂)のモデルは家系図的に言えば、坂野惇子の母・佐々木倆子(雲川倆子)なのですが、実話とは大きく異なっており、朝ドラ「べっぴんさん」のオリジナルキャラクターに近いです。

ただし、坂東はな(菅野美穂)が早世するエピソードには元ネタがあると思われます。

坂東はな(菅野美穂)が死去する元ネタ

実は、ファミリアの創業メンバーの1人・田村光子は、梅田女学校(大手前高校)に入学した年の正月に、母・田村フクを亡くしています。

田村光子の実家は、大阪・船場の洋反物商「田村駒商店」(現在の田村駒)で、古く厳しいしきたりの残る商家でした。

母・田村フクは、古く厳しい仕来りの残りに苦労し、田村光子が梅田女学校(大手前高校)に入学した年の正月に流行性感冒にかかり、わずか4~5日の横臥で死去してしまったのです。

田村光子は、古い仕来りに苦労した母・田村フクを見ていたので、商家に嫁ぐことを嫌い、安田信託に勤務していたサラリーマンの田村陽(飯田陽)と結婚したのです。

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