朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる坂野惇子の立志伝を描いた「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」の第13話「ベビーショップ・モトヤの創業-モトヤ靴店の元田の提案」です。
このページは坂野惇子の立志伝の第13話です。これより前の話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」からご覧ください。
戦後は、みんな「売り食い」や「タケノコ生活」をしていた。「売り喰い」「タケノコ生活」とは、手持ちの家財や服を売り、食料を買って食いつないでいく行為である。
佐々木営業部(レナウン)の創業者・佐々木八十八の三女として生まれ、何不自由ない暮しをしてきた坂野惇子といえど、戦後はこうした「売り食い」や「タケノコ生活」を余儀なくされていた。
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昭和23年(1948年)春、売り食いを続けていた坂野惇子は、軽井沢の別荘から持ち帰ったハイヒールを持って、神戸三宮センター街にある靴店「モトヤ靴店」を訪れた。
モトヤ靴店の店主・元田蓮は久しぶりに会った坂野惇子を見て、思わず顔が緩んだ。
「京の着倒れ、大阪の食い倒れ、神戸の履き倒れ」と言い、神戸は履き物が有名で、神戸の靴は神戸シューズとして人気が高い。
なかでも、モトヤ靴店の店主・元田蓮は、履き心地が良い靴を作ると評判の靴職人で、戦前から佐々木家に出入りしており、久しぶりに坂野惇子と再会し、頬を緩めたのである。
坂野惇子は、そんな店主・元田蓮に、ためらいながらも、「一度も履いていないので、ハイヒールを誰かに売ってくさらないかしら」と言い、軽井沢から持ち帰ったハイヒールを差し出した。
店主・元田蓮は、坂野惇子が差し出したハイヒールを見て驚いた。特別な舶来の箱に入った6足のハイヒールは、モトヤ靴店の店主・元田蓮が嫁入り道具の1つとして、坂野惇子のために作ったハンドメードのハイヒールだったのである。
当時の職人は良い扱いを受けていなかったが、坂野惇子の父・佐々木八十八は人格者だったので、差別をせず、使用人や出入りの職人も家族のように扱っていた。
店主・元田蓮が佐々木家に靴を届けに行くと、何時もお茶やお菓子でもてなされ、丁寧な扱いを受けていたので、店主・元田蓮は佐々木家に非常に感謝しており、坂野惇子が坂野通夫と結婚するときも、坂野惇子の嫁入り道具の1つとしてハイヒールを作り、特別な舶来の箱に入れて佐々木家に治めていた。
このため、ハイヒールを売って欲しいと頼まれた店主・元田蓮は、「お困りでしょうが、これを売るのだけはやめていただけませんか」と懇願した。
困った坂野惇子は、話題を変えようと思い、手提げ袋から娘・坂野光子の写真を取りだし、「こんなに大きくなったのよ」と言って写真を見せた。
このとき、娘・坂野光子の写真は、綿スエードの布地に花柄の刺繍が入った写真入れに入っていた。
写真入れに目を留めた店主・元田蓮が、「どこでお買いになったのですか?」と尋ねると、坂野惇子は「お手製よ。ほら、これも」と言って、自作した手提げ袋を見せた。
これを見て感心した店主・元田蓮は、「へー。たいしたものですね。こんな手仕事の物を作って、お売りになったらいかがですか。うちの陳列ケースをお貸ししますよ」と提案した。
坂野惇子は、思いもよらない提案を受けて感動し、親友・田村枝津子(田村江つ子)に手芸店を開くことを相談するのであった。
坂野惇子の立志伝の第14話へ続く。第14話は、目次「べっぴんさん-坂野惇子の立志伝」からお進みください。
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